見出し画像

「無償の愛」をもらってばかりの日々

日の長さが短くなってきたなと感じる今日この頃ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
私のほうは、
・8月中旬に1回目のモデルナ接種(件のワクチンとはロット番号が一つ違い💦)
・同時期から家庭保育が本格化
・日中は子どもとトゥギャザー(古いw)
・就寝前の数時間で執筆
・〆切前は明け方就寝のグロッキー推敲
・月末必着の地方文学賞になんとかギリギリで応募
・来週から新学期♪ここさえ乗り切れば!と思っていたところが、一週間延期… 
といった日常を送っております。
そういうわけで、全くnoteに出てこれませんでした。すみません

さて、自慢じゃないですけど、幼少期の経験やこれまでの実体験からして、私は育児に向いていません!
なので、これまで育児ネタを投稿する熱量を持たず、控えてきたのですが……
いかんせん、他に話題が無い!! 笑っちゃうくらい、毎日が子どもネタ祭り(良くも悪くも)
そういうわけなので、久々の投稿となる本日は、甘川の子どもネタにお付き合い頂けたらと思います。

まずは、「なぜなぜ期がすごい」というお話をさせて下さい。
「なぜなぜ期」とは、2〜6歳児のいわゆる幼児期において、「なんで?」「どうして?」と質問を繰り返す時期をいいます。心理学では「質問期」とも呼ばれており、心身の発達において重要な時期なんだそうです。
正直なところ、これまでは、「なんで? どうして?」の答えに詰まったら、「なんでだと思う?」って問い返せばいいと考えていたんですね。一緒に考えていくスタイル。
しかし、これを数回やるとですね、
「もう〜、またママが『なんで?』って言ってるし! いま〇〇(子の名前)が、なんでって聞いてるの!!」
とお叱りを受けました。
ごもっともすぎて、即謝罪。いやー、すごい👏育児、舐めてました(笑)
気をつけて観察してみると、純粋に疑問を持つ「なんで?」の時と、自分と同じ景色や時間を認識しているだろうかと確認するための「なんで?」が混在しているのです。
例えば、初めて見た飛行機雲に「あれは、どうして?」って指差す感覚と、何度も一緒に観ている動画を観ながら「これは、どうして(だったか覚えているよね)?」と問うてくる感覚は、違うのですよ。
疑問を投げかけるふりして、コミュニケーションを求めてくるそのスキルの高さ、本当にあっぱれとしか言いようがありません。

それから、昨日は、スマホを隠されました(笑)
マクドナルドのハッピーセットで鬼滅シールのおまけが始まったのですが、ドライブスルーした帰路の車中、スマホがないことに気づきまして。外出前に、バッグの上に置いたことまでは覚えていて、てっきり持ち出したとばかり思っていたものが、見つからない。
駐車後、運転席周りを探す。見つからない。
ひとまず車から降りて帰宅し、いつも置きがちな場所を探すも、見つからず。
子に「ごめんね、ちょっと待ってて」と断りを入れて、再度車中を探すも、見つからない。
これはダメだと自宅に戻り、iPadから妹へLINE。ありがたいことにすぐ返信をくれる。
すると。鳴るんですよ、明るく「LINEッ♪」って。籠もった声で。
よくよく耳を澄ますと、寝室から(笑)
ここにきて、ニヤニヤし始めるお子さま😌
寝室に向かうと……ありました。枕の下に。
それまで、「ないの? ないねえ」と心配してくれていた(そう見えていた)お子さま。
スマホ紛失という滅多にない事態に、軽く慌てながら車へ戻る私を見ていたお子さま。
車から戻ってきた私を、指を咥えてお気に入りのブランケットを抱きしめながら、心配そうに見つめていたお子さま……
あれら塩らしさは何処へ!?

もうね、寝室で見たお子さまの満面の笑みは、悪魔そのものでした(笑)
母、思わず笑っちゃいましたよ。
いやー、すごい。なぜなぜ期は、意外に高度。
心の中で感心しつつも、きちんと、こちょこちょの刑に処してやりました(エヘン


ここまでかなり引っ張りましたが、一番の発見は、「無償の愛」って、実は親が授けるものではないなってことです。
一般的に、親から子へ、という方程式が成り立ちがちじゃないですか。
でもね、本当は、子どもに教えられるもんなんですよ。

長引く家庭保育の中、自分の時間が取れないことに苛立つ瞬間がどうしてもありました。
我が子は可愛い。それは間違いないですよ。しかし、24時間一緒にいるというのは、しかも、自分の考えていることや行動の段取りをしばし阻害されながら共に過ごすというのは、しんどい時は本当にしんどいのです。
言葉は充分に理解できるようになったはずなのに、お願いや約束を一度では聞いてくれないし。
乳児期とは違ったしんどさがあるんですよ。
それで、時に、口調が強くなってしまったり、気が立ってしまったりするわけです。
そうなると、場の空気だって悪くなってしまう。
それでも、子なりに「わかったよぉ……」と、その場は諦めてくれたり……

そうして。
少し時間をおいて、夫も帰宅して、一日の愚痴をこぼしていると、後ろから突如、
「ママ、ママ。大好きだよぉ〜」
なんて言いながら、抱きしめてくるのです。反則でしょ?

あんな言い方して、ごめんねすら言えなくて、本人の目の前で愚痴ったりして、自己嫌悪に陥りかけている私を救ってくれるのは、いつもその「大好きだよぉ〜」なのです。
そこには、なんの駆け引きも要求も条件もなくて。
ただただ、子のおもむくままに、全力の「大好き」をぶつけてくれる。
もう、こっちだって、抱きしめずにはいられなくなるわけです。
「ママも大好きだよお!!!」ってなっちゃいます。

こうして抱きしめてくれるのも、あと何年かしら、なんて思うと淋しいものです。
あっという間に時間だけが過ぎて、この子だって、この子なりに一人で歩いていくようになるんだなと。
それまでに、私ができることって、そんなに多くないだろうな、なんて思いながら__


コロナ禍をはじめ、いろいろと窮屈に感じる日々ではありますが。
しかも、それらが改善する兆しもなかなか見えない現状ではありますが。
周りの人と過ごせる一瞬一瞬を、大切に、一緒に過ごしていきたいと思う今日この頃です。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!
皆さまも、どうかご自愛ください。

この記事が参加している募集

#子どもに教えられたこと

33,033件

#最近の学び

181,835件

感謝感激です!!頂いたサポートは、心身の健康と投稿記事たちの血となり肉となるよう、有り難く使わせて頂きます♪