チキンにリボン　【だいたい2000字小説】

「あー、最高」
歌い終わった弥生は、小さいハート柄をかぶったマイクを置くと後奏の余韻に頭を揺らしていた。

気休めにすぎないけれど、感染予防のために子どものサイズアウトした靴下（一応、洗濯済み）をマイクにかぶせて、弥生と２人でカラオケボックスにいる。
お互いの子どもが幼稚園に行っている午前。
家のことを早く切り上げて、月に一度、こうして２人で過ごす。
「母親」としての立場にも大分慣れてきたけれど、気が置けない仲の弥生と過ごすこの時間は、私が「私」でいることを許してくれるとても貴重で大好きなひとときだ。
これがあるからこそ、目まぐるしい日々を頑張れる。

「昔からこのバンド好きだよね」
水分補給のために、マスクをずらしてストローを啜る弥生に言った。

「大好き！！ 給食時間に『オンリーロンリーグローリー』に鼓膜撃たれてから早１６年よ。なかなか海渡ってまではライブ行けないけど、藤さんの全身の関節を満遍なく喰みたいくらいには好き。あ、でも、おじいが死んだときは、米津レモンに浮気しかけた」
彼らの代表曲といえる『天体観測』くらいしかまともに歌えない私に、弥生は、熱く語ってケラケラ笑っている。
喉仏や鎖骨を含めて、痩身のボーカルの皮膚には今にも突き破ってきそうな数多の関節が浮かんでいる。首元を甘噛みする性癖のある弥生には堪らんと思う。

「あ、でもさ、不倫したメンバーいなかった？」
「うん。でもまあ、メンバーのなかでやるならあの人かなって思う節もあったから、そんなに驚かなかったかな。てか、むしろ、ヤフコメで、もう聞けない、みたいなコメント見かけるのが悲しかった」
そう言いながら、マスクを元に戻している。
そのネット記事は、私も読んだ。
弥生の好きなバンドだったし、結成の節目を前に、みたいな見出しがやたら目に付いて読んでみた。記事をひと通りスクロールして、最後に２、３上がっていたコメント欄でさえ「もう聞かない」「聞けない」という趣旨の内容で、続きを見る気になれずそっとホーム画面に戻った気がする。

「そりゃ、ほとんどの作詞作曲を手掛けている藤さんが不倫したってなったら、もう聞けんも解らんでもないけど……。でもさ、メンバーの人間性と楽曲の相関って、そんな大事なんかね。
純粋に、歌に助けられた、救われた瞬間って、誰しも経験したことあると思うんだけど。なんか、その体験とか自分史のささやかな一部を否定することにならんかねって……まあね、不倫は、配偶者を傷つけるっていう点で良くないとは思うけど。
それでも、人間、正論だけでは生きられないわけだし。
迷いながら、間違いながら、歩いていくその姿が正しいんだ、だし？」
弥生は、さっきまで歌っていた曲の歌詞を引用しながら、個人的見解を述べていた。
リストが空っぽになったテレビ画面から、どこぞのアイドルの新曲紹介なんかが流れて、やたら賑やかな声やBGMに部屋中の空気がざわめく。

「それより、藤さんの結婚のほうが、私的にはなんかもう、一日中気持ちがそっちに持っていかれたわ」
「結婚くらいするでしょ。てか、自分だってしてるじゃん」
自分のことは棚に上げた弥生に、思わず笑った。

「わかってた、わかってたよ、そんな日も来るだろうことは。でもね、相手は私じゃなかったという現実？ つらみ。もう、次は男の子産んで、フジかモトオって名付けるしかない」
と、マスクの縁にある眼差しが、見えない口元の表情まで物語るように真剣に言う。
まじか、と私が笑うのも気にも止めず、膝の上に置いたデンモクに視線を落としていく。
たかが名付け、されど名付け。弥生なら、やりかねない。

次入れないの？ と聞かれたから、入れていいよ、と返した。

「私はさ、なんかずっと生きづらくて、でも、寝てる間に死んじゃうかもって思ったら、寝ることも死ぬことも怖い夜があったりして。それは、子どもを持っても全く変わらなくて。夫は優しいよ？ 優しいけど、だからこそかな。
きっと、この子は、私がいなくても立派に育つし、これから先も愛されていくだろうって思ったら、自分の命の使い方がわからなくなる。そういう、小さくなって消えちゃいそうな夜に、寄り添ってくれるんだよ、BUMPは」

言いながら、弥生は、デンモクをテレビ下の受信機に向けた。
空っぽだったリスト画面に曲名が表示されて、イントロ画面へと切り替わる。


嵐の中を　ここまで来たんだ。……

嵐の中を　どこまでも行くんだ。

弥生の声が、チープな柄をした部屋の壁紙に寄せては返ってきて、温度をゆっくり生成しながら鼓膜に響いた。

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太字部分は、BUMP OF CHICKENの楽曲『Stage of the ground』及び『リボン』より、愛を込めて引用致しました。

もうね、エッセイ的に語り出すと全楽曲語り倒すまで連載しそうなので、これくらいで（笑）
ちなみに、見出しにお借りした写真は『ハルジオン』です。この名の楽曲もすこぶる良くて、私にとって不動の一位（故に、書くこともリンクを貼ることも安易にできない笑）。