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頑張らなくていい。その代わり…… 【だいたい2000字小説】


「起立ッ!」
君は、ラジオ番組のオープニングに応えて立ち上がった。

「礼ッ!」
机の上に置いた枕を睨むと唇を噛み締めたまま鼻だけで深呼吸する。

「さーけーべー!」
君は、顔を枕に思い切り沈めて静かに叫んだ。そして、泣いた。


その日は、入試前期日程の合格発表の日だった。
第一志望で受けた学校のページに、君の受験番号は無かった。

不足は、自分が一番よくわかっていた。
だから、君はその不足が悔しくて人知れず泣いた。


翌朝。
君は、予備校の自習室に出掛けるフリをして家を出た。
靴を履いている途中、リビングから出てきた母親が何か言っていたけれど、イヤフォンを挿した君の耳には何も届かなかった。

自宅の最寄り駅から、予備校は一駅先、学校は四駅先のところにある。
君は、降りるはずの駅を過ぎて次のところで降りた。

その駅の近くには公園がある。
君は、公園内を歩いて行き池のほとりに着いた。何という野鳥か、親子連れで水面に浮かんでいる。何処からか、花々の香りが風に運ばれてきた。
君は、池のほとりにあるベンチに腰掛け、鞄から漫画を一冊取り出した。

どれくらいそうしていただろうか。
腹の虫が鳴った。
君は、公園を出てコンビニへ向かった。

コンビニでおにぎりを選んでいると「おー!お疲れ!」と横から声をかけられた。
声の主は、君と同じ学校を受験した友人だった。
「結果どうだった?」
そう言う友人の頬はわずかに紅潮していて、君の結果を聞くよりも自分の結果を話したい興奮でいっぱいなのが明らかだった。
君は、友人の質問に答えず、また、友人の話の続きを聞く気など更々なかったから、その場から逃げるようにコンビニを出た。


君は走った。
走って走って走って帰宅した。


その夜。
親しくしている予備校講師から連絡が入った。
「まだ受験は終わっていないからなー」
おそらく、先の友人からコンビニでの出来事を聞いたのだろう。
君は講師からの連絡に返事をしなかった。


それから数日後。
君は、第三志望だった学校の後期入試を受験するためその試験会場にいた。

第二志望の学校は例年通り後期の倍率が恐ろしく高かったため、安パイをとったのだ。


君の受験番号は00005番だった。
すぐ前の席は空いていたけれど、君の二つ前の席に、ショートヘアの女性がいる。
どうやら、彼女がこの列の先頭のようだった。
彼女は、制服の上からグレーのカーディガンを羽織っている。
視力だけが取り柄の君は、彼女の着るカーディガンに所々ほつれや毛玉を認識した。
買い替えたらいいのに、そう思った直後、この学校が県内のなかでも学費のかからない学校であることを思い出した。
彼女はカーディガンを買い替えたくても容易に買い替えられなかったのかもしれないと思い至ると、君は、自分が少し恥ずかしくなった。

その入試は小論文だったけれど、君は、小論文対策どころか過去問さえ目を通さずに会場入りしていた。
前期の不合格を引きずった君は、ひたすら読書に明け暮れた。
そんな君を尻目に、父親は「浪人させる家計の余裕はない」と吐いた。
君はそのことを受験の前夜に講師に愚痴った。講師はすぐ返事をよこした。

「その学校なら、片目瞑ってでも受かるんじゃないか?笑
 頑張らなくていいぞー」

君は、試験開始の合図の後、左目だけを瞑って問題文を読んでみた。 
案外いけそうだと本気で思ったのは束の間。冷静に考えて、ウインクしながら受験しているように見えるその様は滑稽だし、そんなことで注意を受けて精神衛生を乱したくない。

君は、ただ起承転結だけを守って、当たり障りのない小論文を書いた。



後期日程の合格発表の日。
00005番は一番上にあった。

君は絶望した。

合格してしまった。
この学校に通うしかなくなる。
その校舎、学風、教授陣、サークル……
なにもかも思い描いていたものとは違うのに。

夜になって、やはり講師から連絡があった。

「まずは、合格おめでとう。
入学したら、バイトやサークルに打ち込んでみるといい。
テスト勉強の一夜漬けもやってみろ。
グレたつもりでタバコを始めたり、朝帰りしてみるのもいい。

その代わり、

腐るなよ?

お前が渋々座ったその椅子は、
お前がなんとなく座ったその椅子は、
お前がうだうだ言いながら座るその椅子は、

その椅子を心底欲していた“他の誰か”の椅子に、たまたまお前が座ったに過ぎない。

これから先の人生でお前の座るであろう幾つもの椅子には、いつも“誰か”の悲しみが貼り付いている。
だから、その悲しみへの花向けとなるように、
心の奥深く、お前しか見えない心の灯火だけは、消しちゃいけない。
その色や形や大きさが変わってもいい。
でも、絶対、消しちゃ駄目だ。

いいか? 腐るなよ」


ふと、君は、00003番の彼女の背中を思い出した。途端に、悲しくなった。あの子はどうなるのだろうか。
来年度に向けて浪人するのか、それとも進学を諦めて就職するのだろうか……

君は、出来ることなら彼女と代わってやりたいと思った。

そして、ハッとした。

君が第三志望のその学校に受からなければ、合格という椅子がひとつ空いて彼女が受かったかもしれない。
君の座った椅子は、彼女のそれかもしれなかった。
君は、泣きたくなった。
悪いことをしたと思った。


君は、講師からのメッセージをもう一度読んだ。
もう諦めるしかなかった。
腹を括るしかない。
その場所で、グレーのカーディガンを着た彼女の分までやるしかないのだ。

「腐っちゃだめだ」

君は、スマートフォンを握りしめると、もう片方の手の甲で涙を拭いた。




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