この町と妹のこと

私、妹のことが好きなんです。昔からお姉ちゃんお姉ちゃんって私の後をついてきて。振り返ってやると一瞬驚いた顔をした後ニコッと笑って、一直線に私のもとに走ってくるんです。それがもう可愛くて。


私たち双子は田舎の港町に産まれました。それはそれは小さな町ですから、今日はお隣の旦那さんがいつもの時間に帰らなかったとか、3つ先のお家の坊やが夜中に軒先でこっそり誰かと電話をしていたとか、そんなことが直ぐに噂になる町ですから、私たちの誕生はその日の内に町中で話題になりました。漁師をしていた父は町の人々を片っ端から集めて、何世代も前からずっと古くなった畳の匂いが充満する部屋で、その日捕れた1番大きな魚を振る舞っては大酒を飲み、招かれた人々は入れ代わり立ち代わりに私たちの顔を見にきたと言います。


それから私たちは、とても大事に育てられました。町工場で働く母が不在の時には、近くの大人たちが家に来て、この町の歴史や庭に咲く花の名前を教えてくれました。皆まとめても30人もいない小学校で毎日同じように学び、同じように遊び、同じ家に帰りました。このころから妹は人より勉強の出来る私を羨望の眼差しで見るようになり、周囲に自慢していました。そして私は姉としてそれを誇らしく思っていました。


しかし高校にあがる頃には、私はこの町をどこかつまらなく感じていました。それが決定的になったのは、高校2年生の長く続いた梅雨明けのことでした。勉強の為に通っていた学校の図書室で、よく見かけていた女の子と仲良くなり、その子は私に「東京」のことを教えてくれました。興奮気味に話す彼女のそれは、私にとって新しく魅力的なことばかりで「東京」の大学を目指しているという彼女の目はこの町の誰よりも輝いているように見えました。と同時に、この町はなんて空っぽなんだと思うようにもなりました。父や母のことは嫌いではありませんでしたが、この町の大人たちにー適切な言葉かは分かりませんがー限界を感じてしまったのでしょう。周りには私のように勉強のできる大人は居らず、毎日同じことの繰り返しで、このままこの町で死んでいくと考えると、それは何よりも恐ろしく感じました。そうして私はその子と同じ「東京」の大学を目指すことに決めました。


ちょうどその頃、私たちの高校に転校生がやって来ました。それだけでも小さな町は騒がしくなりましたが、加えて彼はこの町では見たことがないほどに容姿が整っており、親の仕事の事情で高校の間だけ「東京」から来た期間限定の転校生でした。私は身近に外の世界の住人を感じたことでそれからより一層勉強に力を入れましたが、妹は彼にうつつを抜かしている様でした。夜遅くまで電話をし、休みの日には髪を巻いて少し遠くまでお出かけをし、その後彼と妹は当たり前のように交際を始めたと聞きました。


高校3年生の冬になっても私は変わらず、全てを投げ捨てて勉強に勤しみました。この頃には私はこの町に対して明確にうんざりしていました。外の世界を知らない父や母は哀れで、私に追いつこうともせず呑気に笑っている妹を馬鹿にもしていました。そして自分はこんな所に居るべきではない、「東京」にでて正しく評価をされたい、このままこの町に呑まれてしまいたくないと強く思い、その全てを勉強にぶつけました。

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結果ですか。私はこの町から出られませんでしたよ。所詮、井の中の蛙だったのです。本当は途中から気づいていました。こんな所でどれだけ勉強ができたって、外の世界と比べたらなんてことない程度の話だと。でもそれを認めてしまえば私はどうにかなってしまいそうなほど、苦しくて苦しくて仕方がありませんでした。一緒に「東京」の大学を目指していた彼女も結果は惨敗で、大学進学はせずに家業を継ぐ事にしたと聞きました。まぁどうせ無理だったんだよ、別にこの町も嫌いじゃないしね。と呟く彼女の目は、もう他の大人たちと同じように底の見えない灰色に濁って見えました。


その後、妹は交際している彼と一緒に「東京」に行くと言い出しました。私は、必死になって止めました。ふざけるなどうして私に相談しなかったんだ今までは何でも私に話してきた癖に絶対にそんなこと許さない本当に行きたいと思っているのか適当なことを言うな私への当てつけかろくに勉強も努力もしてこなかったお前なんかがやって行けるわけが無いちゃんと考えろ馬鹿にするな男のせいで人生が台無しになったらどうする私はお前の為を想って言っているんだよ父と母を捨てるのかこの町を捨てるのか私を捨てるのか。


妹は私の反対を押し切り、彼と共に「東京」に行きました。後ろを振り返っても、妹はいません。両親や町の人々はこの町から東京に行く人がでるなんて、とたいそう喜んでいましたが、私はそんな言葉を聞く度に心が深く抉られるような思いでした。この町はとても小さい町です。両手で耳を塞いで、どこか私を知らない場所に行こうと駆けても、どこも見覚えがある場所、見覚えがある人、そして何一つ変わらない私。私は勉強以外に「東京」に出る手段を知りませんでした。そしてこの先も、もう外には出られないことが、この町でひっそりと死んでいくことが何となく分かってしまいました。不思議に思いますか。あなたには分からないかもしれませんね。でも1度この町に呑まれてしまったからには、足掻いても足掻いても、もう沈んでいくだけなのです。私は全てを諦めました。


それから3年が経つ頃、私は母の勤めている町工場であのころ馬鹿にしていた大人たちと同じように働いていました。たまに町で生まれた子供たちの子守りをしては、この町の歴史や庭に咲く花の名前を教えました。空の色や町並みは何も変わらず、妹の後には町に入ってくる人も町から出ていく人もいません。外界から閉ざされたこの町はこの町だけで機能しているようで、私は物語の主人公にはなれません。しかし、それも幸せだと思うのです。


最近、とても嬉しいことがありました。妹がこの町に帰ってきたのです。どうやら「東京」の彼とは上手くいかなかったらしく、妹のお腹には小さな命がありました。私は妹の事を責めませんでした。こんなにも素晴らしい町に妹が帰ってきてくれて、これからもずっと一緒に生きていける。ただそれだけで堪らなく嬉しかったのです。私は妹のお腹を優しく撫で、ようこそと小さく呟きました。
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私、妹のことが好きなんです。昔からお姉ちゃんお姉ちゃんって私の後をついてきて。私の選択は正しかったのでしょうか。今となっては分かりません。ただ、ふと後ろを振り返れば妹が笑っている。この町ではそれが私の幸せの全てなのです。

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