舞台「染、色」のまとまらない感想
加藤シゲアキさんのファンになり、初めて読んだ作品が「染色」でした。今はだいぶ克服出来ましたが、当時読書に対して苦手意識があり、いきなり長編を読む気になれなかったのです。だからまずは短編を読もうと手にしたのが染色も収録されている「傘をもたない蟻たちは」でした。
初めて読んだ時、梅雨のじめじめとした雨の香りが鼻をくすぐり、どんよりした曇り空が脳内に浮かんだのを覚えています。今となってはこの言葉は大変失礼ですが、「こんなにも湿度の高い作品をアイドルが書いたのか」と思いました。
昨年、一度中止になったこの作品が再び復活したこと。そして無事幕が開いたこと。本当にうれしく思います。
先日観劇してから何度も感想を書いては消しての繰り返しだったのですが、結局上手くまとめることが出来なかったので、とにかく忘れないように!と思ったことを箇条書きスタイルで残します。引くくらいぐちゃぐちゃ。9割自分のメモです。それこそパレットに絵の具を雑に出したような記事です(うまい)(自画自賛)
※ネタバレ有りなのでお気を付けください。でも一回のみの観劇だったのでうろ覚えな部分が多いです…。
原作との違い
原作→主人公・市村が美優の絵を手伝う。美優は描き切る前に飽きてしまう。それを市村が手を加えて完成させる。
舞台→主人公・深馬の絵を真未が手伝う。描き切ることは終わること。そう考える深馬は描き切ること(自分で終わらせること)が恐い。
真未という人物は一体なんだったのか。
深馬の才能が具象した姿→真未?
なのかなあ…。「私がいなければ何もできないくせに」という真未の台詞や、決して真未の方から深馬を突き放すことはしなかったり。以下、物語に出てきた台詞と合わせて思ったこと。
・真未は不時現象の桜
「秋に咲いたソメイヨシノは次の春も咲くことができるのか」という深馬の台詞。桜を才能とするならば、季節外れに咲いた花というのは異常なのか。台風や異常気象といった周りの環境(深馬でいうと両親からの期待とか)の影響を受けて予想外に咲いた花は、一度咲いたらあとは枯れていく運命なのか。
深馬は絵を完成させること・ピリオドを打つことに恐れていたけど、この不時の桜とも繋がっているのかなと思う。才能が開花したけど、同時に絵に対する情熱が枯れてしまった深馬と重なるようでした。
加藤さん推し的には、最初この台詞を聞いた時「星の王子さま(加藤さんのソロ曲)」が浮かんでしまったね…。
・真未は六本目の指
深馬がグラフィティを描き切った最後、ハンドサインの意味を込めて真未は彼の手を壁につかせスプレーをかけた。深馬の手を掴んだ時真未の手も重なったことで指が六本ある手形が生まれ、巷ではこのグラフィティを描いた人物をポリダクトリー(多指症)と呼ぶようになった。
指は元々一本の棒が裂けて形成されるそうで、その過程で起きた異常で発症するらしいです。この棒を深馬だとして、異常により裂けた六本目の指が真未だったりするのかな。起こった異常により裂けて深馬から分離した真未が姿をあらわした。でも元は深馬そのものなのだから、彼の深い部分まで理解している。スプレーを取り上げられた時に泣きじゃくった真未と、終盤一人でグラフィティを描くものの、スプレーが切れた時の深馬が似ていたのも、元々同じだからなのかなと。
・上記二つの共通点は異常から生まれたもの
桜も指も、どちらも自分の意志と反して生まれた現象(症状)。じゃあ深馬にとっての異常は?両親からの期待?この辺はうまく言葉にできない…
ともかく、その異常によって生まれたのが真未であって、彼女は深馬の才能そのものなのではないかなと思ったのです。
・深馬の服装の変化。
最初は上下ともにベージュだったけど、中盤(真未と抱き合う辺り?)以降はカーディガン・パンツが黒。でも中のインナーは白。自分という白いキャンバスに全身黒色の真未が混ざったってことを意味しているのかな。次第に彼女に染まる過程を視覚的に表現できるのは舞台ならではの面白さだなと思いました。(シャワーを浴びた後の真未は普通に白のインナー着てたけど、そこはまだ答えにたどり着けてない)
・滝川先生のこと
結局のところ私は人間くさい人物に惹かれる傾向にあって、滝川先生が深馬に抱いていた嫉妬や葛藤にグサグサやられました。「真似ていればやがて本物になれる」すべての物事は真似から入ると思うから、深馬を研究しまくっていたことは健全だと思う。ただ、それが暴走してしまいあたかも自分のものだと主張するのは違うけど。違うけど、気持ちは分かってしまう。
それにしても、どこからが深馬の妄想で、どこからが現実だったんだろう…その境界線がぼやっとしていて分からない。多分、深馬自信も分からないんじゃないのかな。そう思うと私(客)と深馬は同じ時を生きているような気がしてきた。
・「理解できない気持ちに快感を覚える、酔ってるだけ」という真未の台詞はグサッと来た。なんか加藤さんに内面を当てられた。すみません自分自身に酔うところありまくりです…恐いな加藤さん…。
役者さんのこと
皆様初めましてでしたが、フレッシュであり人間み溢れる姿がキャラクターと合っていてスッと物語に入り込めました。正門くんは深馬としてそこに生きていて、だからこそ深馬に対して共感したり、時に憤りを感じたり、行き場のない虚しさにこっちまで苦しくなりました。心身共にすり減ってしまいそうで、最後なんかは本当にこのまま倒れてしまうんじゃないかと思うほど。圧倒されました。ハスキーな声とハンサムなお顔だなあ。
真未役の三浦透子さんも、お名前の漢字を借るならば透き通った声が印象的で、今でも残っています。
原作を読み終えた後、私はどこか寂しさ・空っぽさを感じたけど、舞台の最後はぎちぎちに詰め込まれた息苦しさのようなものを感じました。それは生身の人間が演じたからこそ生まれたものなんだと思います。
「染、色」というタイトル
この物語のラストは句点ではなく読点なんじゃないかと思いました。様々な色に「染まった」深馬の物語はここで一つの読点が打たれ、この先自分の「色」が生まれていくんじゃないかな。
「最後の形は決まっている。変えられない」
真未は深馬にこう言います。私たちの最後の形、死という運命は変えられない。けれど、それ以外はなんだって変えられるし変わることが出来る。死ぬまでの人生、何度も色を塗り替えて、また染まることだって出来るんだという風に受け止めました。
ラスト、真未と過ごした部屋に一人佇む深馬の後ろには、桜が舞う中で真っ白なワンピースを身にまとい立っている真未。秋に咲いた桜はまた咲けるのか。その答えがあのシーンなのかもしれません。もしかしたらこれは加藤さんの願いなのかもしれない。一度花開いたからって終わりではないという。
過去一まとまりのない文章になってしまったし、書くまでに時間がかかってしまった。もっと早く書きたかったけど、観劇直後はへとへとになってしまって書くことが出来なかった。そんな物語を生み出した加藤さんは本当に恐い。すごい。観終わった後のずっしりとした疲労感と、誰に対してなのか、何に対してなのか分からないけど込み上げてきた苦しみにこっそり涙で濡らしたマスクの湿り具合を忘れません。
どうやら無事に大千穐楽を迎えそうで本当に良かったです。最後まで何事もなく駆け抜けられますように。
加藤さん。改めて脚本家デビューおめでとうございます。また加藤さんの創った作品が上演されますよう。そして欲を言えば、「染、色」を売ってください。
もう一度、あの世界に染まりたいのです。
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