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ちょっといい肉と彼女

「この間ステーキ肉を買っちゃった。贅沢に、お父さんとお母さん1枚ずつ」

彼女の母は、楽しそうに話す。
それを聞きながら、2枚の焼かれた肉を前に「たまにはいいよね」と話したであろう両親のことを想像した。

彼女の母は自分自身の説明書をしっかり把握して生きている人だ。
嫌なことがあっても否定や拒絶をするのではなく「あ、そうなんだ〜。へえ〜」と受け流すスキルを持ち合わせ、他人へ必要以上に深入りしない。
まわりのみんなが好きだと言ってても自分が苦手だと思ったら、その物事とは距離を置く。
家に電話があるから必要ないとスマートフォンを持たない(専業主婦)。
娘である彼女に対しても、健康に関しては口酸っぱくつっつくが、それ以外の部分ではいい意味で放任主義だ。

これは親になってからではなく、昔からそうやって自分の軸で生きてきたらしい。
高校卒業後に就職してからは、稼いだお金で友達もしくは一人であちこち旅行し、あるアーティストを追いかけて北海道へ出稼ぎにも行き、30代でマンションを購入した。彼女の物より思い出重視な一面は、恐らく母親譲りだ。
どこまでも自分の心を真ん中に。だけどそれを人には押し付けずに生きる母を、彼女は尊敬している。「私、サバサバしてるんだよね」という自称・サバサバ系女子がいる中、彼女にとって真の意味でのサバサバ系とは母だった。

そんな母は自分の扱い方を理解している分、機嫌を取るのもうまい。それが冒頭のステーキ肉だ。


「ありとあらゆるものが高い。バナナもキウイも高くなってた。生きるだけで大変」
彼女は実家に寄った時、母へそう愚痴った。
「ほんとだよね、わかる」
母はそう言ってから、「でも」とつづけて
「この間ステーキ肉を買っちゃった。贅沢に、お父さんとお母さん1枚ずつ」
と楽しそうに報告した。その声色は彼女の頭の中を染め上げた。
それから話はあっちこっちへ進み、最終的に「冷蔵庫の中を綺麗にする瞬間ってゲームクリアしたような気持ち良さがあるよね」と残り物処理と買い出しについて盛り上がった。



実家に寄った数日後。ある昼下がり。
冷蔵庫一掃ゲームをクリアした彼女は新たなるゲームを開始すべく、スーパーへと立ち寄った。
給料日前だし必要最低限のものは買わないよう心掛けて、しかし、彼女の足は無意識のうちに肉売り場へと向かっていた。

彼女は思い出す。
ちょっと贅沢に、いいステーキ肉を買って食べて、「たまにはいいよね」と話したであろう母のことを。

ふと顔を下に向けると、そこにはステーキ肉が他とは違う黒い発泡スチロールの上に寝かされていた。
肉の上に並ぶ4桁の数字。給料日までのカウントダウン。今現在使える金額と来月必要な金額。足して、引いて、比べて、考えて。頭の中にいくつもの数字が整列したかと思えばぐちゃぐちゃに散らばり、また整列を繰り返す。

買う?買っちゃう?特になにもないけど、買っちゃう?

「たまにはいいか」

整列した数字の間を割り込んで、彼女は手を伸ばす。

と、その瞬間。彼女は思い出した。
そうだ。この肉たちは、時間が経つと4桁から3桁にかわるんだ。

「・・・今日はいいか」


贅沢という楽園の前にそびえ立つケチという厚い扉。
その前に立つケチ門番こと彼女。
果たしてどう攻略すればいいものか。ステーキ肉は寝かされたまま。

(これは昔買った時のトレイ)

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