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下北沢と彼女

10代の頃、彼女にとって“普通”と言われることはこの上ない苦痛だった。
普通。普遍。大多数と同じ。大半に当てはまる。誰でもいい。あなたじゃなくてもいい。予想通り。想像の範囲内。面白みに欠ける。
そんな負の妄想連鎖をしていくうちに、“普通”と言われると“つまらない”と彼女は脳内変換するようになってしまっていた。

普通コンプレックスを拗らせまくっていた彼女にとって、下北沢は憧れの街だった。
高さも色も形もバラバラの店。口から出る言語も身に纏うファッションもバラバラの人。まるで個性の原液で作られていて、食べたら独特の風味がするから好き嫌いは分かれるかもしれない。そんな街。
そのバラつきに彼女は安心感を覚えていた。
そこにいるだけで、普通コンプレックスを拗らせまくっていた彼女も“個性的”になれるかもしれないと思わせてくれる空間だった。


駅から出て少し歩いた先にあるヴィレッジヴァンガードが好きだった。
店の外に並ぶほこりの被ったガチャガチャを横目に中へ入ると、物、物、物がざっくばらんに立ち並ぶ店内。外国からの雑貨が生い茂るジャングルをかき分けた先には、色々な王国に住むキャラクターたちがパレードをしていて、さらに歩くとロックバンドとテクノポップとアニソンが一緒に歌っていた。
もはや商品そのものが壁になっていて、歩くたびに異世界と異世界にサンドウィッチされたレタスの気持ちになった。

彼女は、特に本のコーナーが好きだった。
“普通”の書店には置かれていないマニアックな小説や漫画、イラスト集、哲学書を眺めるその瞬間だけは“普通”とは違った自分になれたようで、彼女は優越感で胸がいっぱいになる。

A5サイズの漫画を手に取るたび、普通コンプレックスが薄まっていく気がした。
ネオンカラーの表紙を眺めるたび、普通コンプレックスが薄まっていく気がした。
誰かとすれ違ったことを布越しに感じるたびに、普通コンプレックスが薄まっていく気がした。



彼女は久しぶりに下北沢のヴィレッジヴァンガードに訪れた。
店内は前よりも歩きやすくなっていた。多分、道幅が広く整理されていたのかもしれない。
余白を感じた。空気を感じた。でもすれ違った時の体温は感じなかった。
それでも、知らない地へ足を踏み入れた時のような高揚感はかわらない。狭くて小さい箱の中に、やっぱり個性の原液が詰め込まれていた。


彼女は今でも、下北沢がすきだ。
個性という原液をわけてもらえるようなあの街に、今でも憧れている。


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