動かなくなった身体と向き合い見つけたこと

2021年1月、僕は久しぶりにどん底に落ちた。浅草寺での初詣で大吉を引き当てた2021年初月に味わった苦悩の1ヶ月。辛くて惨めな生活をおくり、自分と向き合い直した先には沢山の気づきがありました。まさに神様からの贈り物といっていいほど、僕にとっては良い経験となりました。まとまりがなく、長文にはなりますが、最後までお目通しいただけると嬉しいです。


原因不明の症状と向き合った3週間

<1月4日>
身体の節々が痛くなりだしたけれど、前日に青梅マラソンコースで20km超のペース走をしたこともあり、最初はいつも通りの筋肉痛かな?と軽視していた。でも20km走ったくらいで筋肉痛になるような身体ではないよなと疑問にも思っていた。

<1月5日〜>
身体の状態はどんどん悪化していき、もはや会社に行くのもしんどい。でも周りに心配そうに声をかけられるのも億劫だから平気を装っていた。(年末に39.5℃の熱が4日間続き休んでいたため、有難いことに年明けは沢山の人に声をかけてもらっていた)

<1月9日〜>
もはや歩くのもしんどくなってきていて、これは何かがおかしい、ちょっとやばいかもと思い始める。3連休の最終日からはもう歩けない、ましてやベッドから起き上がることもできない。とにかく膝は痛くて折り曲げができないし、手には力が入らなくてペットボトルさえ開けられない。背中や腰の痛みも凄くて一日中ベッドで寝ていることしかできなくなった。動けないから何も食べ飲みしない日が何日か続いた。年末にお世話になった内科の先生に神経内科にいきなさいと言われていたので、評判の良い病院をとにかく探し、1月12日に銀座のとあるクリニックに行くことにした。

"実際の日記"(1/11(月)23:20~)
自分はなにをしたいのか?
どんな人間になりたいのか?
なにを成し遂げたいのか?


・好きなことをして生きたい。
・後悔なく死にたい。
・家族を幸せにしたい。
・大切な人を守れる人になりたい。
・誰かの力になりたい。役に立ちたい。
・周りを愛し愛される人間。
・笑顔でいたい。健康でいたい。
・社会に貢献したい。
・誰かの原動力になりたい。
・稼ぎたい。モテたい。

何で今気分が落ちているのか?
・スポーツできないから。
・思うように生活できていないから。
・やりたいことをやれてないから。
・不安。

どんな人生を歩みたい?
・好きな時に好きなことを好きなたちと行う
 ⇒時間的自由と金銭的自由が必要
・ひたすら何かに挑戦したい
 ⇒スポーツ
好きなことをするには稼ぐしかない。金で諦めたくない。

<1月12日>
体に鞭を打って、普段なら駅まで歩いて5分のところを15分かけて足を引きずってようやくたどり着いた。これで原因がわかるかもしれないと期待の一心で動いた。電車で若い子が席を譲ってくれた。お礼を言いたかったな、優しいお兄ちゃんありがとう。クリニックでの診察結果は原因不明。『当院では分かりかねるから大学病院で詳しい検査をしましょう』と言われた時の絶望感は忘れることができない。そんなに重い症状なのかと一気に不安感が増幅したのを覚えている。でも親身に話を聞いてくれて、すぐにでも診てもらった方がいいとスケジュールを最短で調節してくれた女医さん、歩くのに手を貸してくれた看護師さんたち。もう一度お礼を言いたい。本当にありがとうございました。

"実際の日記"
銀座医院に行ってきた。診断結果は原因不明。順天堂医院に転院し精密検査を受ける流れになった。自分でしっかり調べ選んだクリニックだったけれど、対応がすごく良くて安心した。一方でもしかしたら原因が分かるかもとの一心で通院したので、原因不明で落胆したのも確か。懸念していた神経系ではない可能性が高いとのことで安心したけれど、運動できない身体になるかもと考えると本当に身が裂けそうな思いがする。健康であることがこれほどHappyなんだなと思い学ぶのは何回目だろう
無理をせず自分のペースで一歩一歩進んでいくことが何より大事だ。自分はもっとできると過大評価していた。これを機に一生運動を続けるためにどんな取り組みをしていく必要があるのかを見つめ直したい。母親に言うべきか伏せておくべきか。人を心配させる、不安にさせるようなことは極力したくない。挑戦には失敗がつきものだけれど、周りからしたら見ていられないのかもしれない。自分と向き合える場所にいきたい。自分にとって幸せとはなんだ?自分はなにをしたいんだ?

<1月13日>
調べても仕方がないと分かっていながらも、不安をとにかく消し去りたい一心で症状や予想されるであろう病気をググりまくった。元看護師の彼女も一緒に調べてくれた。もしかしたらこのまま動けない体になるのかもしれない。動けないってことは運動ができないってこと?スポーツがない人生って何の意味があるんだ?このまま衰退して死ぬ可能性もあるのかと焦燥感にかられていて心身ともにボロボロだった。振り返ってみると勝手にマイナス思考になって自分を自分で追い込んでいただけ。いつも家族友人にはポジティブだねって言われることが多いけれど、自分はポジティブな人間ではない。沢山の経験からネガティブに考えても無意味だと分かっているからこそ、何事もプラスに捉えて言葉にしているだけ。言葉に出すと本当にそう思えて気が楽になるし、本当になんとかなるから。でも本気で追い込まれた時ってすぐに現実をプラスに捉えるのは難しくて受け入れるのに少し時間が必要だった。今ではこの経験自体を心からプラスに捉えられているけれど。
とにかく幼少期からスポーツっ子でスポーツありきの人生で、ここ2年は毎日毎朝トレーニングをしている自分にとっては、2週間運動ができていないというだけで発狂しそうだった。いつもと何ら変わらず仲間たちはトレーニングを頑張っていて、その投稿をみるのがとにかく辛かった。なんでこうなった?なんで自分なんだ?と何回思っただろう。運動できるってこんなに幸せなことだったんだ、普通の生活って普通じゃなくてとても恵まれていることなんだと思い知った

"実際の日記"
朝、まじで膝が動かん。
駅までいくのもしんどい。
ここまで歩けないとすごい惨め。
どーしちゃったんだろうこの体は?
明日の順天堂医院で原因が分かるといいな。
そして難病じゃありませんように。

<1月14日>
順天堂医院での検査は丸1日に及んだ。朝の10時から夜の21時45分まで。まずは総合診療科での問診。研修医の女医さんだったけれど時間をかけて丁寧に丁寧に向き合ってくれた。将来絶対いい医者になるだろうなぁ、心から応援してます。大物っぽい先生も登場したけれど、結局のところ総合診療科では原因がわからず、脳神経内科に回されることに。CTや髄液の検査、採血、採尿、とにかく沢山の検査をした。それでも病名はわからない。最後は救急医療センター。なぜここに回されたのか今でも疑問だけれど、そこでも問診を繰り返した。丸一日病院で検査を行って原因が分からないのとにはとても落胆したけれど、神経には問題がなくて命に支障はないということは分かった。その時の自分にとってはその情報だけで十分だった。大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、僕はこれから先も生きることができる、それを感じられただけで幸せに感じた。にしても検査代がバケモノみたいに高い!桁間違ってるだろって思ったし、ある程度の資金を持つことも必要だなーって。

"実際の日記"
順天堂医院に着いた。すごい人の数。
それだけ体に問題を抱えた人がたくさんいて、それを治してくれる医者がいるってこと。
誰かに必要とされるツール・武器を持っている人は市場価値が高い
診察前だけど、とにかく怖い。
どんな結果になるんだろう。何事もなく、終わる病気ならいいけど、、
家から駅まで15分以上かかった。
普段なら5〜6分の距離、走れば2分。
怖い。とにかく怖い。
けどサポートしてくれる人が沢山いる。それだけ人に恵まれてる。
みほしがLINEくれた、涙が出た。なんて優しくて強くてカッコいい人なんだろう。みほしが闘病しながらトライアスロンやってるとは思ってもなかった。元気そうな人ほどそういった悩みをかかえて、正面から向き合って強く生きているんだなぁ。
もし症状が長引くってなったときに、自分は弱音を吐かず明るく楽しく毎日を生きられるかな?スポーツがない世界になったらなにを生きがいに生きればいいんだろう?

<1月15日〜>
原因をはっきりさせるために症状を泳がすことになった。だから痛み止めはなし。先週に比べれば少しは身体が動くようになっていた。

"実際の日記"
<1/16>

膝はわりと動いた
肩が痛かった
寝た時の汗がすごい

<1/17>
肩が痛い
買い物に行った。室内に入るとわりと歩けたけど外に出ると膝痛くて無理。この日は裏じゃなくて膝が痛かった。21時くらいに左膝が折れそうなほどいきなり痛くなって身動きが取れない。22:30には収まった。
寝たけど汗がすごい。

<1月21日>
経過状態の観察で総合診療科に通院した。前回親身に話を聞いてくれた先生ではない人が担当で、あっさりと病名を診断された。結果は反応性関節炎と急性腎盂炎の初期状態。膝や手首、肘肩の痛みはウイルス性の関節炎らしい。未だにウイルスを特定できていないこともあって、暫定で診断されたのかなという印象。急性腎盂炎に関しては中学一年生の時に経験している。当時もドクターストップを受けて、「スポーツできないなら死んだほうがましだ」と泣き叫んでいて母を困らせていたらしい。ごめんね母さん。腎盂炎に関しては現状では重く受け止める必要はないと言われたけれど、遺伝的に腎臓に関しては気をつけていかないといけない。特に人生をかけてトライアスロンに取り組む、まして世界選手権の出場を目指すなら健康にはより一層気を配らないといけない。人より疲れやすい体ということでもあるから、練習方法も体に負荷をかけすぎないようにしないといけない。休息を取り入れながら限界寸前のギリギリの負荷でトレーニングを積み重ねていく、難しいね。とりあえずまとめると、命に別状はない、時間経過と共に運動もできる、腎臓に注意して生活しようということです。今後は月1回の定期通院で様子を見ていくことになっています。本当に本当に安心した。真剣に向き合ってくれた医師の皆さん、サポートしてくれた看護師の皆さん、母、彼女、トライアスロンコーチのみほし、友人たち、在宅勤務をさせてくれた上司、本当に感謝してます。支えてくれてどうもありがとう。


体が動かなくなるという経験から学んだことと今後の人生

一日病院にいたことで沢山の患者を見た。大勢の人が体に問題を抱えて生きている。救急医療センターにはドラマで見たような生死の間を懸命に生きている患者もいる。その人を必死に救おうとしている医師がいる。大切な人を思って声を荒げている人もいる。そんな現場を体感して命の重さをとことん感じた。家族と団欒をする、彼女と過ごす、気の合う友人と笑い合う、自分の好きなトライアスロンに打ち込む、目標のために打ち込む日々。それができることがどれだけ幸せなことなのか、知っていたようで知らなかった。僕には叶えたいビジョンがある、やりたいことが沢山ある、だから毎日全力で生きていたつもりだった。でも明日が来ることを当たり前に思ってしまっていた。後悔を残さないためには、その日その日を人生最後の日だと思って精一杯生きなければいけない。世の中にはやりたいことがあっても体の不自由や闘病生活などで物理的に行動できない人が沢山いる。そんな人たちがいるというのに、健康体の人がやりたいこともせずに惰性で日々のうのうと生活する。そんなことは絶対にあってはいけない、失礼すぎる。今僕にできることやるべきことは、自分の目標を叶えるべく、毎日を人生最後の日と思って全力で生きること。そしてこの経験を通じて思ったことは、誰もがやりたいことをやれる場所と機会を提供できる人間になりたいということ。具体的には、夢や目標を持って自分らしく生きることができる人を増やして、やりたいことに挑戦して失敗しても温かく迎え入れる場所を作ること。夢や目標を見つけるためには自己理解をすることが大きな一歩。今日の日本社会では一般的に自己理解をする機会は就職活動だけに限られる。就職活動の1年ちょっとでは自己理解なんてできるはずがない。自分を知ることはそんなに短期間でできることではないと思う。自分と向き合うことのできていない多くの学生が自分の長所や本当にしたいことを見つけることができないまま、自分を企業に擦り合わせにいく、内定というくだらない目的のためだけに。(振り返ってみれば僕自身もそうだったかもしれない) 周りの目を気にして自分らしく生きることを放棄している。その結果どんな社会人が多いだろう?自分のやりたいことが明確ではなく、個性がなく、どんどんつまらない人間になっていく。僕の友人でも学生時代は尖っていて明らかに目立つ個性を持っていて面白かった人間が、社会に迎合したことでくそつまらない人間になっている。そんな人が大半ではないだろうか?そんな人が多い日本が世界に勝てるだろうか?競い合えるだろうか?個性と個性を掛け合わせて、お互いの長所を掛け合わせて、短所を補い合って、そうやって良いチーム集団はできるのではないだろうか?

つまり何が言いたいのかと言うと

もっと若い年齢、イメージは小学生くらいから自分と向き合う教育や仕組みを作って、若いうちから自分らしく自分のやりたいことに全力で生きられる人を増やす。夢追人を増やす。僕はこれがやりたい。自分が掲げるビジョン『自分を諦めている人を奮い立たせ、誰もが挑戦できる社会をつくる』の具体的な事業の一つにしたい。自分がどんな状態に陥ろうと、どんな結果になろうと二度と人生を後悔したくない。もちろんそんな思いをする人を一人も出したくない。日本国民全員が自分らしく生きて自分らしい人生を歩ける、そんな社会を一緒に作ろう!

あなたは毎日全力で生きられていますか?

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