過去の寄稿から触発された思いー「みみめめMIMI」との奇跡の出会い

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ふと過去に触れたキーワードを思い出し、昔の記事を引っ張りだして読み返してはいろんなことを考えることがよくあるけど、この記事は昔の強い感情を思い出させてくれた。自画自賛、といわれればそれまでだけど、記事を久々に読み返してなぜかウルルときた。

もうF10歳を超えたオッサンなのに、キモい…といわれてもしょうがねえな。客観的に見ると我ながらキモい。ただふと振り返ると「ああ、こんな文章が書けたときがあったんだ」と衝撃が走る。今は…どうだろうか?書けるかなぁ…

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思えばライターを志しスタートを切ってから、苦しい毎日だった。気持ちだけは死に物狂いだったから、いろんなところに行っていろんなものを見て、自分の気持ちに対して脅迫するかの如く自問自答を繰り返していた。「これはステキと思えるか?」「どこが?」

何が言いたいかというと、正直な話取材対象のすべてが自分の興味の範囲に入るかというとそうでもなかったということ、反面例えば取材するこっち側の事情なんてお構いなしにつっけんどんな態度をとられて、「作品は結構面白いのに残念だな」と結果的に自分から突き放してしまったことも幾度か。

そんな苦しい葛藤の日々の中で「みみめめMIMI」の世界観との出会いは、自分の中では本当に奇跡だったようにも思える。

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正直、ファーストインプレッションは最悪だった。実はアニソンというジャンル、僕はそれほど得意ではない。特に近年のアイドル文化と融合してしまったルックスやイメージが先行するようなプロジェクトは曲の構成なんかが似たり寄ったりになってしまい、時に歌という面では絶望的に下手クソなのもあったり、音楽という面では評価しづらい。個人的な思いでいえば「うんざりする」傾向なのだ。

彼女の取材は、最初はある時に打診を受けたライブレポートの執筆だったか。実は編集部側から「2つ案件があって、どちらに行きます?」と問われていた。一つはイマドキのナントカというロックバンド、そしてもう一つが彼女だった。

とにかくどちらかを選び、仕事を全うしなければ次はない。そう思って覚悟を決め「どうせ選ぶなら」と「みみめめMIMI」を選んだ。今考えると、あの頃僕はこういった音楽を無意識的にも避けていたような気がする。だからこそ「毒を食らわば、皿までよ」くらいの勢いでその取材を引き受けたのだった。

それが意外にも面白い方向に進んだ。アニメの主題歌タイアップにもなった「CANDY MAGIC」という曲がリリースされていたのがちょうどその時期で、ライブの予習にとその音に触れたのが、ある意味運命だったのだろう。青春時代をメタルとともに駆け巡り、オッサンになるとJazzに走った自分には、この触りのキラキラしたサウンドはまさにアレルギー出も出そうな様相すらあった。ところがその詞に触れたとたんに、自分の中の何かが変わったような意識が芽生えた。

メタルとともに80年代のカラフルな洋楽ポップスにもはまっていた僕は、当時流れ星のように現れて消えた、Strawberry Switchbladeの魅力に密かに惹かれていた。その魅力というのは、やはり詞にあった。春の訪れにウキウキするようなハーモニーとメロディー。

ところがその詞の内容は恋人との別れを目前に揺れ動く気持ちを抑えながら覚悟を決める女の子、みたいなイメージがあったり、とてもローな気持ちの自分を歌ったり、楽曲によってはヒット曲「Since Yesterday」など想像もできないくらいに暗いイメージの楽曲もある。ちょっとゴシカルな印象もあるルックスの効果も相まって、その雰囲気にすっかり魅了された。

僕自身にはそういった要素に惹かれてしまう性格がある、という単なる気質なのかもしれないが、とにかくその世界観が気になってしょうがなかった。

「CANDY MAGIC」には、Strawberry Switchbladeの「Since Yesterday」や「Another Day」につながる風景が見えた。その時の感情は、今にしてみると「みみめめMIMI」に対する恋の芽生えのような思いだったかもしれない。

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結構な大物アーティストに出会う機会もその後いろいろあったような気もしたが、彼女との出会いほど鮮烈な記憶はない。ちなみに「彼女」と書いているのは、あくまで「みみめめMIMI」という世界観のことを示している。リアルのイメージであり、シンガー・ソングライターだったタカオユキさんはもちろんステキな女性だったし、今はまた別の道で邁進しているのだろう、そんな彼女には頑張ってほしいと応援する気持ちはあるが、やはりわが心に残っているのは、あの音に触れたときに感じた風、風景だったと思う。

このプロジェクトが終わると聞かされたときに感じた思いはまさに「CANDY MAGIC」の風景、そしてStrawberry Switchbladeの風景にシンクロしていた。あの美しく切ない空気感だった。なにか私的な思いに引っ張られるなんて、万人が見るメディアに寄稿するライターとしては失格じゃないか、という気もする。が、そんな自らを叱責する自分しか残っていない今、こんなレポートはやはり今書けないし、そんな自分を残念に思う気持ちもある。

「Bon Voyage」という言葉は、ちょうど僕が大学を卒業しあるきっかけで卒業旅行にフランスに出向くことが決まったときに覚えた。日本語で別れは「さよなら」くらいしかないのに、外国人はなんと気の利いた別れの挨拶を思いつくものだ、なんて思った記憶がある。初めての海外旅行を楽しむ余裕もなく疲弊しながら過ごし帰国した僕。旅の終わりでは見えない何かに、まさに「Bon Voyage」と告げたような気もした。それは新たな旅をスタートした自分へのエールだったのだろうか。

ふと見た自分の過去の記憶に、そんな様々な思いが交錯した。「みみめめMIMI」から受け取った「Bon Voyage」というメッセージ。荒波続きの旅はまだ続いているが、彼女との出会い、そしてそのメッセージはこの度に大きな意味を示してくれたものではないか、なんて明日からの新たな荒波を前に、いろんな思いにふけっている。

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