少年よ、神話にはなっても伝説にはなるな

 「生ける伝説」という言葉がある。偉大な記録をうち当てたアスリートや大人気の作品を書いた小説家などとにかく非凡な才能を持つ存命の人を形容する際に用いられる言葉である。
 
 「生ける」という言葉がわざわざつけられているのは日常生活においても、もしくはフィクションの世界でも、「伝説」という言葉は主に既にその人物が亡くなっているということが前提にあるからである。私がパッと思いつく限りでは映画「I am legend」なんかはそうである。エピローグにて劇中亡くなった人物は死後伝説となったとして他の登場人物によって語られる。
 
 おそらく多くの人が伝説になりたいかなりたくないかで言うとなりたいだろうと思う。自分の行いがどういう形であれ後世に語り継がれるというのはやはり気持ちがいいだろうと想像できる。だが、仮に伝説となった私が雲の上で下界の様子を見ていたら、段々ともやもやした気分になるのではないかと考える。果たして私の行いは正当に評価されているのかと。
 
 日本のみならずいろいろな文化圏で見られるが、「死」という事象があまりにも絶大な力を持ちすぎているように思える。墓参りなんかに行くと父が亡くなった祖父に対して「○○してください」とお願いしているのが聞こえる。いや、言い方は悪いけど祖父は死んだだけだよ?特別多くの命を守るために自らを犠牲にしたとか、地球に迫る隕石を破壊するために爆弾で自爆したとか、別にそんなことしてないよ?本当に言い方が良くないけど割と一般的な死に方だったと思うよ?隣で手を合わせる私はそんなことを考えている。かく言う私は墓前で手を合わせる際は「化けて出ないでください」とひたすら祈っている。死後化けて出るぐらいなら死後の世界ではポピュラーなことではないかと考えている。
 
 「伝説」という言葉を聞いて思うのはその人物の死後悪く言うことがしにくい雰囲気になってしまい、その人の行いにバフがかかり、生きている人が同じことをした場合よりも高く評価されてしまい、正当な評価が行われないという現象が起こるのではないかということだ。他人が伝説伝説~という勝手に言う分にはいいかもしれないが、言われる本人からすれば(まあ、この場合は既に死んでいるから本音はどうかわからないが)自分のすごさが本当に伝わっているのか不安になってくるのではなかろうか。不安が募り、成仏できなくなり、現世にとどまり、それこそ化けて出てくるかもしれない。
 
 だから人は伝説にならない方がいいと思う。なるなら神話のほうがいい。もちろん「oh my god」という慣用表現が「god」をそんな風に簡単に使うなと敬虔な信者に言われ「oh my」などと簡略化されたように軽々しく神とか言うものでもないが何もギリシア神話とか日本神話とかそんな大御所に並ぼうなんて気は持っていないからその点はわかってほしい。誰にわかってほしいかわからないがとりあえずわかってほしい。
 
 でも絵本にはしないでほしい。子供にわかりやすいように絵本にするという気持ちはありがたいし気持ちはわかるけど絵本にはしないでほしい。やっぱり子供ってそういうフィクションじゃない絵本とかは手にとらないだろうし、そういう絵本の絵って子供に受け入れられないタッチのことが多くて表紙だけで子供につまんない認定されてそのまま自分自身がつまんない人だと思われてしまうかもしれないから絵本にはしないでほしい。
 

 結論に入ろう。「伝説」という言葉を使われると死を踏み台にしたような、もしくは死をネタにしたように思えるので伝説にはならない方がいい。なるなら神話になろう。でも絵本にはしないでほしい。


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