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愛する人と共に生きたいが、価値観は押し付けたくない。

こちらも、instagramに掲載した文章になります。杉田論文への小川榮太郎氏の擁護文が話題になっていますね。この文章は、その問題が起こる前、今年の5月6日に書いたものです。愛する人と共に生きたいが、価値観は押し付けたくない。そんな気持ちで書きました。読んで頂ければ幸いです。
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アメリカ全州で同性婚が可決された年、私は、ゲイの友人の言葉を参考にしながらジェンダー論のレポートを書き上げていた。「例え日本で同性婚が可決されたとしても、周囲の目は同じだもん。それなら結婚せず隠していたい。」とその友人が話していたことを記憶している。

新宿2丁目で遊び始めて、なんとなく「私そういえば、女の子のこと好きかもしれない事案、昔からあったな」と気付き始めた時も、「同性婚って必要かな?だって好きなら一緒に居れば良くない?」というのが持論だった。lgbtというカテゴライズは嫌いだが、「当事者」の意識なんて所詮そんなものなのだ。全ての事象に理由を持って生きている人間はごく僅かである。この文を書いたところで、lgbt芸人になるつもりもない。自分の体験を悲壮感たっぷりに書くつもりもない。私が伝えたいのは、悩んでいる貴方へのエールである。

日本では毎年5月にTRP(東京レインボープライド)が開催されている。ニュースでlgbtの文字を目にすることも多くなった。戦後と比べれば、「当事者」たちにとって日本はかなり住みやすい国となっただろう。しかし現実はどうだ。私の周りでも「カミングアウト出来ない」「友人に話すときは、恋人のことを異性だと嘘をつく」人は相当数いる。恋人の存在を隠しているせいで「この子はずっとフリーだから」と謎の烙印を押されてしまう人だっている。そんな中、私がめちゃくちゃオープンにしているのは、「セクシャリティという問題が、自分にとってクソどうでもいいこと」だからである。

この問題において「貴方が誰を愛するか」で迷惑を被るのは、(いるとすれば)貴方のパートナーだけだ。もしも君に「セクシャリティについての悩み」があったとしても、誰に申し訳なく思う必要はない。それは、親だとしても親友だとしても同じである。君は誰のことも傷つけてはいないし、例え相手が「傷ついた」と言ったとしても、それは相手と価値観が違うだけの問題なのだ。カミングアウトするかしないかは君の自由だが、兎に角「申し訳ないと思う必要は絶対にない」ということを私は強く推していきたい。

彼女とお付き合いをして2年半が経つが、幸いにも今まで「差別」と呼ばれる行為を受けたことは1度もない。もしかしたら心の中や、自分の気付かないところで後ろ指を指されていることもあるかもしれないが、そんなこともどうでもいい。私はパクチーが嫌いなので、横でパクチーをモシャモシャと食べている人がいたら「うげぇ」という顔をしてしまう時だってある。(パクチー好きな人はごめんね。)そんなものだ。「差別」と言えば大それた様に聞こえてしまうが、した側とされた側の認識は大きく違う。パクチーを食べる姿を嫌な顔で見られた時、物凄く傷付く人だっていれば、「貴女の舌はお子ちゃまなのよ」と笑い飛ばす人だっている。
「食べ物に例えるな」と憤慨されるかもしれないが、性と食との密接な関係性については、多くの論文で取り上げられている。聖書だってそうだ。身体の成長や体調によって食べ物の好みが変わるように、性的指向や「心の性別」も変わっていくのかもしれない。だからこそ「当事者」という言葉が一体何を指すのかと言われれば、それは「地球上の全ての人間」だと私は思う。生物学的にも多種多様な生物たちが、同性との生殖行動を行なっている。私の飼っていたオスのカブトムシは同じオスと生殖行動を行なっていた。生殖行為のみが繁栄の目的ではないはずの人間だけが、カップルの性別に線引きしてしまうのは可笑しな話である。

話を戻そう。今の私に「同性婚が必要かどうか」問われれば、答えは勿論イエス!!!!!である。もし愛する彼女が事故にあった時、私はすぐには駆けつけられない。そんなの辛すぎる。法的に「家族だと認められない」ことで起こる弊害は滅茶苦茶ある。渋谷区や世田谷区等で認められているパートナーシップ条例は、日本国における大きな進歩だが、登録料や諸々の手続きを含めると約8万円(2018年現在)かかってしまうし、はっきり言って値段と価値が見合っているとは言えない。同性婚が認められることで、「国が認めてるなら変なことじゃないのかも…」と思う人たちだって居るだろう。しかし、この国で同性婚を認められる為には未だ未だ時間を要する。悲しい事にこの国にいる限りは、自分の愛する人と愛すべき時間を守るために、工夫や思考を巡らすことが必要なのだ。

もし私の目の前で「生殖行為が行えないカップルは、淘汰されるべきだ」と叫ばれた時には、「同性婚が認められていない日本で、少子高齢化が起こるのは何故か」を問いたい。誰が誰を愛そうが関係なく、国は繁栄するし衰退もする。「子供がゲイだなんて恥ずかしい」と思う親ですら、老後になればどうでもよくなってしまう可能性が高い。自分が大きく捉えている問題も、実は時間の流れの中では小さな問題なのかもしれない。10代の時に悩んでいた問題を、40歳の自分が悩んでいるかと言えば、そんなことは稀なのだ。私の愛する彼女が幸せで、それを邪魔されなければなんでもいい。この文章を、私の愛する人、親愛なる友人達全てに送ります。傷付いた過去を清算して、皆が笑顔になれますように。

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