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ナラティブなモノづくりへ

ここ最近、モノづくりの潮目が変わってきている気がします。
僕が定期的に製作し、刊行しているマガジン a quiet dayでは、毎回、何かを創り出している北欧のクリエイターにフォーカスしたインタビューを掲載しているマガジンなのですが、昨年2018年刊行した9作目から10作目、そして最新号の11作目にかけて段々と、その変化の予感を感じています。特に最新号の11作目になるにつれ、より一層それが色濃くなってきました。

どういった変化なのかと言えば、以前であれば、クリエイターたち自身の興味や関心をベースに、作られたモノが何か困っていることの解決方法になったり、それがあることによって便利になったり、新しい素材やアイデアを使って今まで見たことのない造形美や状況を世の中に対して表現したりといったように、主に作り手もしくは売り手側から、モノに対しての一方向のストーリーが語られるモノが多く、パッと見てハッキリと分かりやすいものが主流だったように思います。

そういったモノが世に出てくる一方で、世の中はデジタル分野において技術革新が進み、Facebook、YouTube、Twitter、InstagramなどをはじめとするSNSなどが、人の生活になくてはならない存在になってきました。そしてこれにより、全ての情報が可視化され物事の透明性が増してきました。

話は少し脱線しますが、そういった流れは世界的に「食」の分野で顕著になってきています。特にコーヒーでは、スペシャリティコーヒーという言葉が市民権を得たように、 提供サービスの向上を求め、コーヒーショップが自らコーヒー農園に足を運び、より洗練された質の高いコーヒー豆を探し出し、味やサービスの透明性を持って価値提供出来るようになりました。さらに「食」の生産者さんたちも自分たちでSNSで情報発信を行ない、サービス提供をする人たちも同じく発信する、さらにはサービスを享受しているユーザー側もそのモノをどのように利用しているのかなどをSNSで発信出来る時代になってきたのです。
つまり、モノの生産から消費までの過程の中で、それぞれがそれぞれのストーリーを見つけ出して発信することで、モノが溢れているというよりもモノを取り巻くストーリーが世の中に以前よりも増えてきたのです。

さて話を、モノづくりに戻すと、ユーザー側のストーリーなども以前より可視化された状況になったことによって、今までのように作り手からの一方向のストーリー提供だけでは、ユーザー側のストーリーとの不一致が起こり、共感が得にくくなってきたように感じます。作り手としては、そのモノを受け取った時にユーザー自身が「物語れる」モノなのか。つまり、そのモノがユーザー側の主観的な個々人の物語の中に入っているのか、ということが問われているように感じます。実際に自分もマガジンの製作というモノづくりの端くれに携わる身としては特に考えさせられます。この主観的な個々人の物語を「ナラティブ」と言うそうです。

改めて今回の最新号で、インタビューをさせてもらった、ほぼ全てのクリエイターたちの言葉の端々に、この「ナラティブ」を大切にしたモノづくり(以下、「ナラティブ」なモノづくり)の姿勢が感じられるようになりました。
中でもデンマークの家具・インテリアデザイナーのChrisさんは、家具のデザインをする時に、表面的な機能面を意識したライフケッチから始めるのではなく、対照的な言葉や文章を文字で書きモノのシチュエーションを始めに作っていくそうで、ユーザーとの無数の接点を考えた内面的なモノづくりを意識しているそうです。また彼女はインタビューの中で「使ってくれる人が自分自身のストーリーをプロダクトに投影してくれることを望む」ということや「ユーザーが私のデザインしたモノを認めてくれた時に、作り手である私の想いも、プロダクトから離れていくことになる」といったことも話してくれました。

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また、長野のクリエイターたちの話に共通することは「お客さんに寄り添ってカスタマイズすること」といったように、生み出したプロダクトやサービスを通してユーザーに寄り添い、あたかも人同士が対話やコミュニケイトしていくようなモノづくりへと、作り手の意識や実体の変化が生まれて来ていることを、取材を通じて感じ取ることが出来ました。

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この「ナラティブ」なモノづくりを考えた時に、ユーザーというのは作り手からすると無限に存在するので、誰のストーリーに合わせればいいのかという疑問も同時に浮かんでくることでしょう。
しかし、これからは何が正しいのか、間違っているのか、誰のストーリーに合わせるのか、と言った二者択一の近視眼的なアプローチではなく、考えるべきことや大義などの問いを投げかけ、対話していくモノづくりが求められていくのではないでしょうか。同時に、それらの個人個人のナラティブを結びつける体験や経験の場を、全体プロデュースしていく役割が今後とても重要になってくることでしょう。

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