土地のにほひ

 古語を調べてみると面白いことが分かることがある。今回のコラムのタイトルに用いた「にほひ」という言葉もその一つだ。現代で使われている匂いの原型にあたる言葉なのだが、改めて意味を古語辞典で調べてみると、まず始めに出てくる意味は、「色合い」や「色つや」のこととされており、続いて「美しさ」、そして「魅力」や「気品」へと続く。そうしてようやく使い慣れた「匂い」の意味が出てくる。最後には「余情」という抽象度の高い感覚的な意味も出てくるほどで、どうやらかつて「にほひ」という言葉は、何か対象の事物の周辺に漂う色気のような感覚を表現する言葉だったように考えられる。


 先日石川県の金沢、そして長野県の上田を旅してきた。金沢では加賀野菜など東京などではなかなか出回っていない野菜や食があり、上田でも独自の食文化はもちろんのこと、カマキリの卵の産む場所の高さによってその年の冬の降雪量を占う、降雪地ならではの昔ながらの気象予報の手法があることを初めて知った。アメリアの作家・ジャーナリストとして有名なジェーンジェイコブスの著書「発展する地域 衰退する地域」でも論じられているように、生産地と消費地が異なる構造で産業が成り立っている場合、消費地の何らかの衰退に伴い、生産地も否応なしに衰退してしまう状況に陥ることがあるそうだ。2020年は世界的なパンデミックにより、そんなことを直に感じた方も多かった一年だったのではないだろうか。外需によって支えられた産業は大ダメージを追った反面、昔ながらの老舗と言われるお店などは“いつもの”常連さんが支えてくれたり、その構造の問題にいち早く気がついた方たちは大きく事業方針の転換への舵を切った。この生産と消費の関係性は、働き方や仕事の面などでも整理がつくので、自分も定期的に自分の仕事のベクトルがどこかの消費地(クライアント)に依存しすぎていないかメンテナンスをすることにも役立っている考え方だ。さて話をもとに戻すと、その土地の人が生産し、その土地の人が消費する中に隠されたその土地の価値が眠っているのだろうと感じる。


 面白いもので、この価値は、その土地の方々が何も意識せずに普段通りの暮らしを営んでいる中で、その人たちの当たり前の「ふつう」へと変化してしまう。マガジンa quiet dayの取材に行っていると現地で暮らしをしている人たちよりも、異国の旅人である自分の方が圧倒的に情報を持っていて感心されることも多い。他人のことはすぐに的確に判断できるのに、自分のこととなるとそうはいかないなんてことにも通じているのだろう。このパラドックスを解消するには、やはりその土地意外の外の視点が必要なのだろう。その土地の「にほひ」という「価値」を感じ取るためにいつの時代も旅人が必要なのだろう。早く自由に旅人が行き来できる日が来ることを祈って。

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