雨を降らせているのは何?
これは僕が尊敬する師が
教えてくれたエピソードです。
その方はカトリックの神父さん。
なので、
以降「神父さん」と呼びます。
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ある寒い冬の日、神父さんが
幼稚園に訪問し、
子どもたちに講話をされたそうです。
講話というよりも
子どもとのふれあいの中で、
質問(や野次)に答えながら
楽しくいろんな話をされていたようでした。
あれこれ話をする中で、
年長さんでしょうか。
ある子どもが質問を神父さんに質問をしました。
「なんで勉強をしないといけないの?」
その無邪気な質問に
神父さんはこう返しました。
「難しい質問だねぇ。
たしかに、大人は『勉強しなさい』
と君たちによく言うかもしれないけど、
なぜ勉強しないといけないのかを
よくよく言ってくれる大人は
少ないかもしれないね。」
「じゃあ、一緒に考えてみよう。」
そして神父さんは
次の問いを子どもたちに投げかけました。
「雨を降らせているのは何かな?」
子どもたちは、
質問に対して問いで
返ってきたことに戸惑いながら、
その身近な現象に対する問いを
なぞなぞを解くように
競って答えようとしたそうです。
そして、ある男の子が真っ先に手を挙げ、
「雲!」
と答えました。
それを受けて
神父さんは言いました。
「よく知っているねぇ。
そうだね。雨はもともと雲で、
それが雨となり落ちてくる。」
きっと男の子は得意気な表情をして
神父さんの称賛を
聞いていたのではないでしょうか。
そんな中、神父さんは続けて言います。
「でも、その雲の蓄えた水が、
雨となって地面に落ちたら、
全て落ちきってしまったら、
もう雨は降らなくなっちゃうね。」
一瞬ぽかんとし、
徐々にその言葉の情景を咀嚼する子どもたち。
男の子は呆気にとられつつ納得し、
振り出しに戻った気分だったでしょう。
その神父さんの
真の問いが顕わになり
再び問いかけられます。
「じゃあ、雲が雨となり、
全て地面に落ちきったとき、
その上で、雨を降らせるのは何だろう?」
その頃には、
寒さ知らずで楽しく走り回るのが仕事な年頃の
幼い子どもたちが
その問いに
全員惹きこまれ
心地よい静けさに包まれていました。
真っ先に、得意気に答えた男の子も
二の矢はどうも立たない様子。
神父さんは十分待ったのち、
子どもたちがよく思考を巡らせているのを
感じ取り、その見計らったタイミングで、
石油ストーブの上のヤカン
を指差しました。
「あれを見てごらん」
雨の話をしている中、
突然のストーブとヤカン
さらにポカンとする子どもたち。
すると、それまで終始
挙手や発言はせず、
静かに話を聞いていた女の子が、
「湯気だ」
と
つぶやきました。
その、天井に向かって
昇っていく水蒸気を
目で追い、顔を上げながら。
それは小さな声でしたが
周りの子もそれを聞き、
神父さんの指先からヤカンへ、
ヤカンから昇っていく水蒸気へと
視線を移し、顔を上げました。
そして、そのつぶやいた女の子が
さらに続けます。
「あったかいからだ。」
「あったかいから湯気が出て、
湯気が上にあがるんだ。」
それを聞いて、
まだぽかんとしていた子も
まだいたんじゃないかと思います。
神父さんは
ヒントに気づけたことを讃えるように、
そして、それを捕捉するように
さらにヒントを出しました。
「そうだね。
じゃあ、地面に落ちた雨を
温めるのは何だろう?」
神父さんの話に惹き込まれ
幼いながらたくさん考えた子どもたちは
その長い思考のトンネルを抜けた
解放感と達成感で
表情を明るくしながら、
気づいた子から次々に
「太陽!」
と答えました。
神父さんは、
答えにたどり着いた子どもたちを
迎え入れるように頷きました。
そしてこの問いかけの
真意を打ち明けます。
「そうだね。
雨を降らせているのは、
本当は
その雨を落とす雲ではないんだよ。」
「雨の中、
その分厚い雲に隠れて
休まず地球を照らし温めてくれている太陽、
お天道様が雨を降らせているんだよ。」
「ここまでたくさん考えてもらったけど、
つまりね、
勉強をするということは
見えないものを
感じとれるようにすることなんです。」
「なぜ、なんのために勉強するのかは、
その目の前のことの裏にある背景を
想像できるようになるためなんです。」
「たとえば
今日持ってきたお弁当を食べて、
その味から、
育ててくれた農家の方、
運んでくれた運転手さん、
買って、作ってくれた親御さんの
苦労を想像できるように、
感謝できるようになるためなんです。」
「優しくなるためなんです。」
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この話を聞いたのは数年前ですが、
今でもしっかりと覚えています。
僕は
『星の王子様』(サン=テグジュペリ)
が好きで、
その中の有名なセリフがあります。
神父さんの話は
このセリフととても深く重なって
僕の中で共鳴しています。
目まぐるしく忙しい現代、
ときに僕も目の前のことにしか目がいかず
目に見えない
配慮や、優しさに
気づけないことがあります。
そんなとき、
この話を思い出せるように
ここに残そうと思い書きました。
そして、僕の好きなこのエピソードを
皆さんにも知って欲しくて。。
改めて、学び続ける生き方を選んでいきます。
もっと“優しく”なれるように。