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Day58_良い悪いは存在しない。真か偽かだけ

こちらの記事はラジオ放送
【こはるやさんのひとりごと】
をstand.fmさんのAI文字起こし機能を使って、記事にしたものです。
収録内容を抜粋、再編集してお届けしています。

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■はじめに


みなさんこんにちは、こんばんは、おはようございます。湖晴屋の椿です。

本日は私にとってのビッグニュースがあります。今、実家から放送録音しているんです。 この放送をずっと聞いてくださっている方は、ご存知だと思うんですけれども、家との関係が、今までずっと難しかったんですね。

■家族との関係

難しかったっていうのは、 やっぱり母のことはとっても愛している、 とっても大事な存在だと思っている っていう気持ちと同時に、 素直に自分の心を表現できない っていう気持ちがありました。

その気持ちが何だったんだろう。 この愛しているのに、もやもやするっていう気持ちは、この先もずっとここにあり続けるのかなって思っていたんです。

でも、今回実家に帰ってきて、私は実家でも自分のままで、ただそこにいればいいっていうことに気がついたんです。 そこにいるだけでいい、そういうふうに振る舞えているっていうことに気づいたんです。

■自己受容

それは、やっぱりここ数日何度か放送に録音していますが、問題を難しくしていたのは自分の方にある、自分が難しくしていたっていうことに気づいたからですね。

私は私のままでいいし、 できる時もあればできない時もあるし、 ただそういう自分を、ありのままの自分を、 そういう時もあるよねって 判断しない、ジャッジしないっていうことができるようになったからだと思います。

だからこれまでは、母がお仕事疲れて帰ってくるから、 帰ってくるまでにお皿洗いもしとかなきゃとか、 洗濯物干さなきゃとか、 お片付けしとかなきゃとか、 いろんなことを考えて、それが達成できたら、 あー良かった、今日は母に合わせる顔がある。

そんな風に、これができるから、 母に罪悪感なく対面することができる みたいな、だからそれも条件をつけていたんでしょうね。

良いことをしたら、 っていう条件がずっとあったんですね。

でもその条件付けは、自分で設定していただけだから、これが達成できないと悪い自分 っていう設定を作っていただけで、 私がここに存在しているのに、良いも悪いもない、ということです。

だから存在して良いっていう表現も、もう違うのかもしれないなって思っています。

良いとか悪いとか判断じゃなくて、 判断することが全部のしんどさに繋がっているんじゃないかって、最近繰り返し考えて分かりました。

すべての角度から見たときに、正しいっていうものはきっとないんですよね。同じようにすべての角度から見たときに、悪いという概念も存在しない。

正しいとか正しくないっていうのは、日常生活の中で結構出てくる概念だと思うんですけど、 正義と悪っていうものは存在していなくて、 ただ、真か偽かっていう概念があるだけなんだって分かったんですよね。

■真と偽

真か偽かっていうのは、数学の授業とかで私は最初に出会ったのかな。

真実の真に偽物の偽っていう漢字を書いて真偽。

Excelの関数とかを使う方は、 関数のif文とかを思い浮かべていただけたらよくって、この条件に合致するものはtrue、trueが真。 この条件に合致しないものはfalse、falseが偽ということです。

正義と悪は存在しなくて、真と偽は存在する っていうのはどういうことかっていうと、 真と偽っていうのは条件が明確なんですよ。

何かの事象があったときに、 その事象を見て正義か悪かっていうのは判断することはできないけれども、例えば、法律を冒したっていう条件付けだったらtrueになるわけですよ。

例えば、 誰かを守るために、誰かに危害を与えてしまったっていう出来事があったとして、それが正義か悪かっていうのは、どこから見るかによって変わりますよね。

だから正義か悪かっていうのはないんです。 でも、真か偽かっていうことはある。

条件に合致しているか合致していないかっていう視点はあるってことです。

誰かに危害を与えてしまった、誰かを損なったっていう条件の場合はtrue、真になります。 損なったことは損なったけど、それとは別に 大切な人を守ったっていう条件でもtrueになるんですよ。

誰かを怪我させてしまった、それは確かにそこだけを切り取ったら悪いのかもしれない。

でも、それが大切な人を守るためにやったことだったって言ったら、それは悪いんですか? どうなんですか?ってなりますよね。

だから、正義か悪かっていう概念は世の中にたくさん溢れているし、たくさん良いとか悪いとかっていう判断があるけれども、たぶん言葉の定義で。

正義か悪かは(意図を定めて)使うにはちょっと難しい。 (曖昧だから)使いやすいから、それを使ってしまっているけれども、実際は真か偽かしかないんです。 それに気づいたら、とっても世界はシンプルになります。

■条件が合致するとハッピーだよねってだけ

例えば、私はこの仕事をやりたくないですって誰かに言うとしますよね。

これは先日私が実際に仕事でやったことですけど、定時10分前に仕事を振られて、それはあまりやりたくないっていうことを私は表現としてその人に伝えました。

その時は、じゃあやらなくていいんでやり方を教えてくださいって返ってきたから、その人に対してその表現をするっていうのは、条件に合っていた、TURUになった。 それだけ。

同じ条件で別の人にやったら、それはFALSE、偽になることもある。

その人にとってその条件が受け入れられるか受け入れられないか、それはその人によって変わるし、その時の状況によっても変わる。

だから全ては条件付け。

この条件であれば今回はTRUEだったね、今回はFALSEだったね、それだけの話なんだって思いました。

その概念を知っておくと、なんかうまくいかなかった時も、今回は条件が違ったんだなって思うだけなんですよ。

だから日が変わったらその条件でOKになるかもしれないし、相手とか私の状況が変わったらその条件はOKになるかもしれないし、もちろんNGになることもある。

ただそれだけで、条件だけの話だから、 自分が良いとか悪いとかじゃないんですよ。

■おわりに

今回も概念的な話になっているので、 あんまりよくわかんないなっていう人は全然いいです。

湖晴屋がそんな話をしていたなって 頭の片隅に残ってたらいいし、忘れちゃってもいいです。

で、またなんかあの時の湖晴屋の話ちょっと気になるなって思ったら、またここに帰ってきていただければって思います。

本日の放送は以上になります。 今日はね、お友達とまたコラボ放送をしようかななんて考えています。ので、次回の放送もお楽しみにしてください。

また次回の放送でお会いしましょう。 湖晴屋の椿でした。 今日がいい日になりますように。 さよなら。

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