母親が家にいないおうちの子供 #04
これで自分が男だったら「母親は何もやらない人だった」で終わりですよね。
しかし当時の出来事に対する見方が、自分の性別によって2転3転とひっくり返っていくのは興味深いことです。
学校に呼び出されると、だいたい父親が出頭していたようなのですが、すごく優しくていい父親だったし、世間的には女親がやることをやってくれてたりして心を打たれるんですけど、やっぱり「口頭で指示すれば母親がやるのが当たり前」みたいな前提が考え方の根本にあったんですよね。
わたしが薄汚いのと勉強についていけないのは母親だけのせいではないですから。
ま、その時代にはそれが当たり前だったんでしょうけど、母親については同じ女として無理ゲーを押し付けられてる悔しさがわかるのでなんか責めるのは違うな、と思う一方で、父親はすごく愛情深くてよくやってくれてたのに減点しちゃうんです。
前述の同僚で印象的なのは、女ばかりの三姉妹で家族仲もよく、みな高学歴だったことです。
お母さんは家にいて丁寧に家事をこなし、事細かに子供を見守り、ケアをしてくれて、そのおかげで安心して勉強や部活に熱中し、挑戦できる人生。
彼女はそんなものを用意してくれる「ご家庭」に育った子供でした。
これでは自分だけ子供を産みっぱなしにして、働く自分の犠牲にするのは相当心が苦しいでしょう。
子供が寂しい思いをしていると知っていて、働き続ける自分を身勝手だと感じるかもしれません。
自分が与えられてきた環境を考えれば、次は自分が全身全霊で子供を支える番だと思うのは自然なことかもしれません。
自然かもしれないんだけど、「じゃあ、これまで自分が積み上げてきたものはどうなるの?」という相反するふたつの塊のようなものがあって、子供を持って働くと、それに両方から押しつぶされて、擦り減ってしまうのではないかと思います。
昔会社にいた慶應とか出てる子でも、なんか話しているとマインドが、結婚・子供=主婦になっている感じがしました。
その子も母親は主婦で、ふたりはとても仲が良いようでした。
結局お母さんがどんなに頑張って教育をして、いい学校に行かせて、娘がいい仕事についても、お母さん自身が主婦だったら、娘も結婚して子供を産んだらいずれ主婦になる選択をする確率が高いということなのか・・・。
東大医学部に4人の子供を送り出した佐藤ママの、4番目の子供は女の子なので、その子の今後の長期的な動向が気になるところです。
その子が佐藤ママのノウハウで自分の子供を育てようと思ったら、医者を続けることはできないですし、自分が与えられてきた教育の延長線上で生きるのであれば、子供に自分と同じ教育を受けさせることはできません。
佐藤ママ自身は子供の教育で結果を出し、その実績で仕事人として活躍しているのですごい人だと感じますが、母親に徹底的に奉仕されてきた子供たちが、将来家庭に対してどのような考え方を持ち、どのような選択をし、どのような家庭を作るのか、当人のジェンダーでどのように違ってくるのか、非常に興味深いです。
子供が男の子だったら母親がどれだけべったり世話をしても、あとあとその子が親になったときに「満足に子供の世話をできていない」、ということで自分が罪悪感を感じることはないですよね。
自分がたくさん世話してもらった分、妻に対する要求は高くなりそうですが。
働くお母さんの子供の場合、安直に自分が淋しい思いをしたから「妻には専業主婦になって家にいて欲しい」って人も多いと聞きます。
最近ではわたしの年下のイトコも、子供に問題が出ているということで仕事を辞めて主婦になってしまいました。
すごく勉強を頑張っていい学校に行って、一所懸命仕事をしていた責任感の強い子だったのに。2021年6月24日 16:05記
#日記 #フェミニズム #共働き #子どもの頃 #子どもの頃の思い出 #母親が家にいないおうちの子
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