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計画的と偶発性のハザマで

ようやく11月1ヶ月かけた大きな仕事も終わりつつある。
こちらのnoteの更新も随分と疎かになっていた。それくらい、時間があれば、少しでも今回の仕事に費やしてきたように思う。もっと精度の高い仕事ができたのに、と後悔したくはないから。準備期間の3ヶ月も含めると4ヶ月間、随分とストイックな生活を送ってきた。行楽の秋に行きたいところにも行かず、観たい映画も観ず、飲みたいお酒もそこそこに?この間、ストレスから?食後にスナック菓子を食べるという習慣が根付き、1.5kgの体重の増加に気づき、禁止とした。買いだめしていたスナック菓子の在庫に頭を悩ませている今日このごろである。

さて、今回の一連の業務の中で「計画的偶発性理論」なるものに出会った。計画的(性)なのか、偶発的(性)なのか、よくわからないネーミングだ。
簡単に言うと、「個人の8割は予想しない偶発的なことによって決められる」から、あまり雁字搦めに未来のことを考えずに、イレギュラーなことでも積極的に受け入れ、新しい環境の中で前向きに取り組んでいこう!というようなものだ。思わず、意訳自体が随分と楽観的なものになった。
仕事でいうと、人事による部署異動や、転勤にあたるかもしれない。

実際に、長かった営業部署の管掌から管理系の部署の管掌に異動になったことがあった。結果的に起業してから、営業系の仕事ではなく、総務系の仕事でお声がかかる、というのも不思議なものだ。「いやだー、いやだー、営業じゃないといやだー」と駄々をこねていたら、今の自分はないだろう。というか、その以前に社会人として退場だろう。
金沢の前にも札幌の単身赴任があったが、行ったら行ったで、楽しいものである。出張とは違い、根付くわけだから、自然と土地への愛着も深くなる。歴史を知り、文化を知り、気候を体感する。故郷が一つ増えたような感じだ。死ぬ間際に思い浮かぶ風景が増えることだろう。縁起でもないことをサラッと言ってるが。

でも冬はいや

今回も、つくづくそう思った。
今回の依頼も、2年前に起業したところから始まる。
起業しても、すぐにやることが見つかるわけでもない。色々と模索している中、たまたまFacebookの広告で金沢でのとあるプログラムの案内を見かけ、応募。結果的に、採用されたのはよかったが、単身赴任で金沢に来ることに。半年のプログラムをなんとか完全燃焼し、引き続き金沢でお仕事をいただくことも多くなる。そんなある日、プログラムでかかわっていただいていた金沢大学の方から講師のお声掛けをいただく。そして、今回の11月を迎えるわけである。この感覚…わらしべ長者?
振り返ってみると、ほんと行きあたりばったり。たまたま、それがいい方に転んだだけ、と言えるかもしれない。
でも、それでもいいと思う。いや、それがいいと思う。

企業でも3カ年の事業計画の策定があり、3年後からのバックキャスティングで…なんて手法が取られることもあるだろう。そりゃそうだ、目標から逆算したアクションプランがないと、おカネやヒトをどう配分していいのかわからない。でも、今の世の中、3年後まで見通せる?なんなら3ヶ月後さえもどうなるかわからないのに?
こんなこと言うと素人みたいだから、誰も言わないんだろうが(だからこそ、あえて言うが)、別にフォアキャスティングでもいいんじゃない?と。漠然と、右上の方向にいっていればいいんじゃない、と。

だいたい、こっちの方向

実際に、なにか成し遂げたときに見える景色は、そのときになって初めてわかることがある。
たとえば、今回初めての10時間の講師としての体験。別に、先に何かを見据えているでも、打算があるでもなかった。ただ、目の前の10時間のために、徹底的に準備をして、やれることを全部やり、やっただけ。でも、直感的にわかっている。仮に、それをやり遂げたときには、もしかしたら今まで想像もしていなかった景色が見えるかもしれない、ということを。起業をした当時、2年経って金沢で10時間の講師をやっているなんてを想像できていなかったように。
起業したときも、金沢でプログラムを終えたときもそうだった。やってみて、初めて見える景色が間違いなくある。なかった選択肢が用意される。バックキャスティング的な思考では、ときにこの景色や選択肢を覆い隠し、スキップさせてしまうのである。

ということで、こと一人で事業をするには、バックキャスティング1割、フォアキャスティング9割くらいのバランスが一番いいのではないかと思う。

未来を語らずに、今を生きろ、ってことだ。
四の五の言わずに、今を生きろ、ってことだ。

曖昧な時代を楽しもう!

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