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「表現する」ということ

簡易説明1-1p

うちのTwitterくらいは平和であれ
の方針なので、6章以降はweb版でみてね。の方向でいきます。

個展を開催するにあたり、LUPOPO Cafe&galleryの店長さんに小説をどのようにみなさんにシェアしたらよいかを相談したときに、

表現は自由で、もっともっと公開してゆけば世界が広がってゆく。

と、心強いお言葉をいただき、最初は文章をTwitterに載せること自体が

恥ずかしい!

なんて稚拙な文章!

と、のたうち回っていたけれど、Twitter上で小説を公開することにより次第に気にすることもなくなってきて、届く人に確実に届いている確信も得てきた。Twitterでの反応はほぼないに等しいものの、カクヨムでのPVは100もなかったものが、現時点で220PVにもアップし、応援までいただけて、本当にありがたい気持ちでいる。こうした反応があると、とても公開するのが怖かったけれど、公開してよかったと思う次第です。

こわい、と思うのは、まずは文章や物語構成など、基本的なものである。こればかりはどうしようもなく、本として完成しているため訂正はしない方向で進めている。これは日々精進せねばならない修行。。。

ニホンゴ ムズカシイ。

次は、今回の一番感じているのは「表現するということ」の難しさ。

たしかに、表現は自由だ。創作も自由だ。伝え方さえ間違わなければ、すべて誰にも妨げられない活動だ。

だが、Twitterは個人の庭というよりも、現在はあまりにも広域でクリックひとつで色んな場所まで届いてしまう。私の大事なフォロワーさんやその周辺の方々に、万が一「不快感」を抱かせてしまうのではないかという恐れ。

今回発表している小説『好日来来と夢路をたどる』は、カクヨム上でも「暴力描写あり」というセルフレイティング(注意事項)を載せて、その該当章はすべて区切り、小題に(R18G)と記載しているのはそのためである。

コミケなどの同人界隈でもよく騒がれている「地雷避け」をしてもらいたいという意図もあるが、完全なる「地雷避け」は注意事項表記が増える一方で、表現において非常に野暮になる。暴力はリアルな描写でないにしても、この現世において暴力に恐怖し、見たくも聞きたくもない人々がいることは存じ上げているし、私自身はそのような経験がないからこんな呑気なフィクションを書いているという罪悪感も多少ある。暴力には反対だ。その暴力でしか訴えられない人々は、須らく不幸である。けして幸せになることはない。創作でも、現世でも。

そもそも論ではあるが、創作と現世(リアル)は混ぜて考えるべきことでないと思っている。これは空想の創作で、現世のしがらみからは切り離して考えてゆかねば、ますます表現者は表現が制約され、それこそすべて管理された世界になるのではないだろうか。極論だが、思想まで黒塗りにはされたくない。

ここまでは、創作の作者の立場。

ここからは、ひとりの人間として。

そうはいっても、私は基本的に創作の話をTwitterでしている。政治もトレンド的なセンシティブな問題も「基本的」にはスルーしている。

創作に関係ないからだ。

生活のうえでの、起きる、食べる、寝る。楽しい。かなしい。は少しなら許されるだろうか。そんなスタンスでツイートしている。

そういう流れで、小説の6章以降は、この「センシティブ」な条件にあてはまってゆくだろうと思い(作者としてはここからが一番の見どころ、読みどころゆえに心苦しい)、そっと5章までのTwitter小説の更新とさせていただきたく存じます。

説明がだいぶ長くなりましたが、みんなが平和に、そして公開する絵もなるべく平和なものを。(スパイスとしての不穏さは許してほしい)

Web版で小説公開を完結させて、(全文読めるようになっています)ひと段落したので、現時点の気持ちを綴りました。

「表現する自由」「発表する場」を与えてくださった、個展会場のLUPOPO Cafe&gallery様には感謝の気持ちでいっぱいです。ギャラリー様の品位を落とさぬよう、私は与えてくださった愛情を愛情でもって返してゆきたいと存じます。だからこそ、怖い、を乗り越えます。

賛否あることと承知でありますが、あたたかくお見守りいただけましたら幸いです。

これからも、表現を考えてゆきます。

橘屋あれん

告知1

めいん2   告知用

個展 -空想旅行-
#旅人のスーベニア
会期:2020年 11月26日(木)-30(月)

LUPOPO Cafe&gallery

世田谷区三軒茶屋1-35-20平原ビル1F  https://lupopocafe.net/

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