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OTOちゃん(1)

短編小説ヒューマンドラマ 全4回

【あらすじ】
六年間勤めた会社を突然辞め、三十も間近に引きこもり生活になってしまった大輝。人間不信に陥り、新しい一歩を踏み出せないでいた。
そんなある日やってきた卵型のかわいい機械、OTOちゃん。

「大輝《だいき》、もう一年が経つでしょう。時間が経てば経つほど再就職は難しくなるのよ。今ならまだ…」
「うるさい!」

 俺は部屋のドアをわざと大きな音を立ててバタンと閉めた。母さんの言葉が痛いほど胸に刺さり、心に立った荒波が体へと表出された。もう三十が近いというのに、これではまるで反抗期の中学生ではないかと情けなくなる。

 一年前、大学を卒業してから六年間勤めた会社を辞めた。株式会社と言えばそれなりの会社に聞こえるが、同族経営の小さな会社だった。昔から人と関わることが苦手だった俺は、はなから大企業など目指してはいなかった。細々とでもこの会社でやっていければそれでいいと思っていた。

 ある日突然俺は会社を辞めた。一気に全てがどうでもよくなり、何の引継ぎも、挨拶もすることなく電話一本で辞めた。その後会社から何度も電話があったことだろうが、その直後携帯の電源を切ってしまったので分からない。そして、いつ帰るとも記していない「心配無用」の書き置きだけを食卓に残して家を出た。

 母さんには一度公衆電話から電話をかけ「元気だから」と一方的に告げてすぐに切った。その時の俺は誰一人として自分の領域に入ってくることを許さなかった。ビジネスホテルやカプセルホテルを転々として、気の向くままに出かけたり一日中ホテルのベッドで突っ伏したりして過ごした。結局、この生活は二週間で終わった。

 二週間ぶりの家。玄関まで駆け寄ってきた母さんに思い切り頬をぶたれた。けっして派手ではないがいつも身なりに気遣い綺麗に化粧をしていた母さんの顔は、一気に老け込んだように見えた。

 ぶたれても何の言葉も返さない、ロボットのように無表情な顔をした俺を見て、母さんはぶわっと泣き出した。それをも無視して俺は自分の部屋へと向かう。机の上には、会社に置いていたはずの荷物や書類が整えて置かれていた。俺がいなくなってから母さんが荷物の受け取り、退職の手続き、それから各所方面に頭を下げて回ったことは容易に想像できた。

 そんな風に当時の母さんの気持ちを考えられるようになったのは、会社を辞めて三か月が経とうとしていた頃になってからだった。誰の感情も誰の思考も自分の中に一切入れたくないという全身に張っていたバリアがようやく解けてきた。やっと誰かと関わることを自分に許すようになった。

「あの時はごめん。俺、これから新しい仕事探すよ。」
「あなたも辛かったのよね。ゆっくりでいいのよ。」

 俺は言葉で自分の気持ちを伝えるのが昔から苦手だった。家族に対しても、誰に対しても。母さんに心配かけて申し訳なかったという気持ちは、あの言葉からはほんの十分の一も伝わっていないだろう。だからこそ、行動で見せなければいけないと思った。

 それから毎日俺はハローワークへ行った。何社か面接を受け、内定の連絡をもらった。それを聞いた母さんはやっとほっと出来たという顏で俺に微笑んだ。

 だけど俺はもう一度、母さんを悲しませることになる。

 初出社の日、家を出て100mと歩かないうちに足がわなわなと震えだし、それ以上進めなくなってしまった。そのまま一時間が過ぎたころ、道路でたちすくんでいた俺を母さんが見つけた。その次の日も、またその次の日も同じことが繰り返され、もう会社に行けそうにないと判断した俺は出社0日にして退職する旨を電話で伝えた。

 そんなことがあってすっかり新しい職を探す気にもならなくなり、昼夜逆転の引きこもり生活をするようになっていった。次第にすさんでいく俺の生活を見て、職探しはゆっくりでいいと言っていた母さんも時々声を荒げて「いつになったら」と言うようになった。そしてその後、後悔したように小さな声で「ごめんなさい、あなたの気持ちも分かるのよ。でもね…」と続く。母さんと会話する度責められている気分になるのが嫌で、ますます俺は部屋に籠るようになった。

 母さんは俺の前で仕事の話をするのをやめた。その話さえしなければ、俺と食事を共にできるからだ。だからといって愉快におしゃべりをするわけでもない。俺が発する言葉は「ふーん」とか「そう」とか、このくらいだった。

 そんなある日やってきたこの子によって、それからの俺の日々は少しずつ変わっていくことになる。

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