和歌の背後を読みたい
年末になり常と変わらぬ日々の中、12月から『徒然草』を原文で読み始めた。世間では正月の用意やら何やらと、新年を迎える用意に忙しそうだが、それとは無関係にのめり込んでも、簡単に読めないだけに面白さは大きい。現代語訳を読んで、何となく分かったと思っても、それは表面だけの意味でしか無い。
吉田兼好、本名が卜部兼好(うらべ の かねよし)、父が吉田神道を継ぐ家に生まれ、従五位まで出世するが30歳で出家をしてしまう。世は鎌倉末期から南北朝時代、乱世の京で過ごしながら何を思ったのだろう。
時代背景も考えると、年末という時間も忘れ、兼好の世界へ引き込まれた。
以前にも書いたが、和歌や漢文の古詞は裏読みをすると面白い。新年の抱負になってしまうが、あらためて『万葉集』や『古今集』などの和歌を読みたい。読みながら、日本の歴史もまた学び直したい。本歌取りは模倣・パクリだなどと思ってきたが、元歌の時代背景と歌人の生き方を知ると、詠み人の重層的な想いも感じ取れるようだ。
新年の抱負になるが、『徒然草』を読み終えたら、次は『万葉集』と『古今和歌集』『土佐日記』を原文で読んでみたい。『万葉集』は万葉仮名で書かれているのでテキストは必要だが、原文を読んでみたい。漢詩などと違い、直接的な感情表現が少ないだけに、和歌や和語の世界って、日本人の性格を作ってきたような、独特な秘められた何かを感じられようだ。
紀貫之の『古今和歌集』と『土佐日記』は、和歌を知る上で絶対に欠かせない様に思える。『古今和歌集』は初の勅撰和歌集であり、仮名序は日本文化の宣言、和様文化の先駆けと思う。仮名序を書いた紀貫之の『土佐日記』は、単なる日記では無く、和語の紀行文であり歌論であるとも言われている。
和歌の世界への挑戦は、老後の遊びとしては最高かもしれない。周囲は新興住宅地のように賑やかになってきたが、我が日常は何ら隠棲と変わるところがない。静かに一人、解りもしない世界へ踏み込もうとするのも、また「いとをかし」きことかな。狭い部屋の世界に居て、時々想い出しては懐かしき事を「筆のすさび」にまかせ、書いてみるのもまた面白いかもしれない。出来る事なら、短歌にも挑戦してみたいと密かに思っている。
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