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なぜデイサービスを選んだのか

2022年6月17日

休職期間を含めて約1年半のニート生活に
ピリオドを打った。

一昨年に障害が発覚し
2023年1月から休職となり、
精神疾患の方が通う就労支援施設に通い、
年内の復職を目指すもうまくいかず
2023年10月退職。

何もやる気が起きずに3か月間引きこもり
そのまま元旦を迎えたが、
ふとしたきっかけで
高尾山に登ったことや
色んな人と出会ったことで

元気になり2024年2月から就職活動を始めた。

”麻雀しか取り柄のない自分に何が出来るのか?”

疑問に答えを出すために動き続け、
半年をかけて自分なりの答えを
見つけることが出来た。

誰の参考になるか分かりませんが
貴重な経験を経て就職に繋がったと思えたのでその記録を書き記します。


出来ること=仕事に繋がるとは限らない

就活する上でまず考えるべきことは
何をしたいか?ということだった。
ただ一つ、気を付けたのは
麻雀を仕事にしないこと
過去2回、麻雀関連の仕事をしたが
どれもうまくいかず
自分の好きなことを仕事にすると
会社との考えが合わなかったり
不満を抱えたまま仕事をすること
が多くなる。

なので次に仕事を選ぶ際は
”麻雀の要素はなく
自分の持っているスキルで
長く続けられる仕事”
をイメージし、職探しを始めた。

WEBライター

元々、文章を書くことや
記事を作ることは好きだったので真っ先に
この仕事が思いついた。
大体がフリーランスであるが
企業ライターという職もあるので
窓口もそこそこありそう。

手始めにクラウドワークスに登録して
何本か記事を作ったが
”全く面白くない”
それどころか
”自分に興味関心がないものを記事に
しても書く気が起きないし
一般論ではなく自分の意見を入れたがる”
など記事を作るうえで
客観的に書くことが抵抗感があった。

またXにて魚谷プロから
Мリーグを振りかえっての観戦記を作る
募集があり
ポートフォリオを提出したのだが

”自分の書きたいように書いて
相手の立場に寄り添えてない”

と魚谷選手や他のフォロワーさんから
間接的に指摘された。

この出来事から
”相手目線に寄り添う記事を作るのが苦手”
という特徴が分かり
選択から外れることとなった。

動画編集者

簡単な動画や会社PVを作ったこともあり
こちらも選択肢にあった。

WEBライターと同じように
ポートフォリオを作成することとなり

前の職場の先輩が塾を開校するということでそのPVを作成したのだが

『作ってほしかったイメージと全然違う』
加えて

『動画としてはいいし、
編集点もそこまで気にならないんだけど
こちらの意図を汲み取っておらず
相手の立場に寄り添えた作りになってない

とヒアリングした内容とよりもかけ離れた
作品が出来上がっていることを指摘された。

ADHDの特性として

2つの職種のポートフォリオを作るうえで
共通したフィードバックが

”相手の立場に寄り添えてない”

でつまるところ、

”人の気持ちを考えることが苦手”

と、ADHD特性が
阻害要因であると理解した。

学生生活や社会人として過ごすうえで
この課題は何度も直面し

本や訓練で

『こう言われたら
こういう反応をすると好ましい』

『会話の文脈から
”このようなことを言いたい”と予想される』

などAI学習で
健常者として振る舞うことが出来たが

深いレベルでの理解が難しいため
ヒアリングや客観的視点を伴う
仕事をするのが難しいと判断した。

昔から冗談が通じなかったり
相手の表情から推察するなど
苦手な分野であった。

気づかされた自分の役割

自分が出来そうだと思っていた
WEBライターと動画編集者が向いてない
と思われ職探しが振出しへと戻った。

改めて何が出来るんだろうと
思ってふと就くつもりがなかった
麻雀で検索をかけてみたところ
興味惹かれる仕事が目に付く。

麻雀でデイサービス?????

”健康マージャン店で勤務した時に
お年寄り相手に色々接客したことはあるけど、
今はデイサービスとしての事業もあるのか…?”

この時点では健康マージャン店のスタッフとデイサービスのスタッフではそこまで
やることは変わりないだろうと思い
選択肢から除外していた。

がある出来事が求人するきっかけを与えてくれた。

黒いアルバム

就活を続けるのは
しんどかったので気晴らしにフォロワーさんを誘って遊びに行くことにした。

待ち合わせした場所が

かつて勤めていた
健康マージャン店の近くであり、

挨拶がてら寄ることにした。

プ『こんにちわ』
オーナー『いらっしゃいま…
あれ?プーじゃん!
久しぶり!元気してた!?』

約10年前、オープニングスタッフとして入社し3年間勤めたお店である。
年に1度は、顔を出していたが
ここ最近は来てなくて
前回顔を出してから2年が立っていた。

お互いの近況を伝えあっていると
オ『見せたいものがあるんだ』
と棚から黒いアルバムを渡された。

中身を見ると
オープンからお世話になった
とあるお客様が写っていて
役満をあがった時や
大会を優勝した時など
お店での数々の思い出が
アルバムに載っていた。

最期の写真を見たとき、
目頭が熱くなった。
頬はやせこけ、
首筋は浮き出るほどはっきり見え、
腕は枯れ枝のように
今にも折れそうだった。
しかし目元から伝わる穏やかな笑顔は
最初に撮った時と変わらないように見えた。

オ『”途中癌にかかってけどお店でまた遊びたい、スタッフに会いたい想いで闘病して完治し医者から宣告された寿命よりも永く生き続けることが出来た。
死ぬ時も穏やかに逝け、
そうなれたのはお店での思い出が
強かったのではないか。

私達遺族が持つよりお店に渡した方が
○○(亡くなったお客様の名前)も
きっと喜ぶ”と渡されたのがこのアルバムだ。』

知らなかった。

働いていたときは
接客業の一環として取り組んでおり
お客様から感謝をされつつも
自分のやりがいとして
見出すことはできなかった。
職場から離れ色々な仕事をしてきたが
結局やりがいは見つからなかった。

違ったのだ。

やりがいを持つ仕事には最初から出会っていて単に自分がその仕事の魅力
に気づいていなかったのだ。

余生をどう過ごすか?という視点で
この教室を選び
幸せな気持ちのまま逝く事が出来た。

そして自分が為す役割というのは
”麻雀を通じて楽しませ、逝くときにあそこに通ってよかった”
と思ってもらえることではないか?

と一つの答えにたどり着いた瞬間だった。

とにかく想いを伝えた

健康マージャンでサポートするのではなく
もっと大きな役割として
麻雀を通じてお客様の拠り所となりたい。

そう想い改めて
麻雀×デイサービスを行っている
企業に求人をかけた。

ウェルチャオを含めて3社応募したが
2社落ちた。

最後に残ったのが
デイサービス・ラスベガスだった。

1次面接の際、
面接官から多くの事を聞かれた。
”なぜ、この業界に就きたいんですか?”
”ADHDと診断されてから、
どのような取り組みをしましたか?”
”数ある麻雀の仕事の中で
なぜ介護という仕事を選んだのですか?”

などなど

返答に困る質問もあった
が意識したこととしては
”あのアルバムを見て抱いた想いだけは伝えよう”
だった。

面接終了後、担当者から
『話は長いし、しゃべればしゃべる程不器用さが出てきて普通の面接で言ったら
アウトです。
でもあなたがこの業界に対する想いや
取り組んできたことの
努力は充分伝わりました。
障碍者雇用という点で
どうなるか分かりませんが
募集している店舗責任者と
話していただいて
そのうえで判断しましょう。』

と言われ1次面接は合格。

2次面接でも同じことを意識して臨んだ結果、

内定連絡があり、

2022年6月17日

休職期間を含めて
約1年半のニート生活にピリオドを打った。

関わってくれた人々に感謝

今回の就職は決して
一人の力で成しえたことではありません。
健康マージャンのお客様やオーナー
Xを通じて沢山のフォロワーさんから
励ましのメッセージや
就職のアドバイス、
生活保護のやりかたなど
リプやファボを通じて元気を貰い
この半年を乗り越えることが出来ました

8月1日より就労が始まりますが
それまでに体調を整え、
元気に働けるように過ごしていきます。


支えてくれたフォロワーさん、気づかせてくれた健康マージャンのお客さんに
万感の想いを胸に前へと進みます。




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