冬の高尾がくれたもの
生きてない日々
2024年1月中旬。
僕は死にかけていた。
肉体的ではなく精神的にという意味で。
昨年の10月ごろに勤めていた会社を退職。
何をするかの目標を見つけることができず、気持ちが空っぽになってしまい
11月下旬から1月上旬までずっと引き籠っていた。
極力人と会いたくなかった為、
外出機会は深夜3時ごろに行くコンビニで食料を買い足すだけのただ一回
(時間がたてば解決してくれるだろう。)
そんな身勝手な希望を持ちながら食事以外は
家にこもってアニメやネット麻雀で暇つぶしをしていた。
何を食べてもおいしくなかった。何をやっても楽しくなかった。
無為に時間を過ごし、暇つぶしの傍ら想うことは、
(このまま生きてて意味あんのかな?
何度も就職しては失敗して自分が社会で生きていくことは
無理なんじゃないかな?)
と見えない先行きに不安だけを募らせるばかりだった。
そうだ、〇へ〇〇ろう。
1月中旬、約1か月振りにコンビニ以外で外出し退職と同時に通うことになった就労支援施設に顔を出すことにする。
”就労支援施設を辞めて自分で仕事を探すか、このまま施設に通うか”だ。
担当の相談員に話したところ意外な答えが返ってくる。
『重大な決断をするのだったら、
身体を動かして頭をすっきりさせてから考えてみてはどうですか??』
”思考が堂々巡りしていく中で重大な決断をしたとしても正しい判断はできない。”ということだ。
・・・・・”身体を動かす”・・・・・
その言葉を聞いてある気持ちが生まれた。
なんでこう思ったのかは分からない。でも…
”今の自分は山を登ることが必要だ。
直観的にそう思い週末に高尾山に行く予定を立てた。
週末の日曜日午前9時過ぎ
身支度を済ませた後、原付を走らせ駅の駐輪場に停めた。
出発する前に、葛藤があったものの
”行かないと何も始まらない”
言い聞かせた。
京浜東北線沿いの駅から乗り電車に揺られること約1時間半…
高尾山口駅に到着。
少し歩いたらロープウェイ乗り場兼登山口に到着した。
残雪が若干残っており、沢山の登山客で溢れかえっている。
ロープウェイで登っていく登山客を後目に今日登るルートを確認して1号路から登ることにした。
高尾山に至るまでのコースは複数あり、難易度も違う。
今回、登る1号路の距離は4㎞弱と比較的難易度は優しめで、1年間ろくに体を動かしておらず引きこもりがちだった自分にはちょうどいいと思った。
この道の中で”これからの人生どうしようか?”を考えながら登るつもりだったが、出発から30分後。
息切れと汗が止まらず肩で息をしながらベンチで腰掛ける。
”これからのこと”を考えるよりも
”今どうするか?”を考えることに必死になっていた。
(出発してそこまで時間も経っていない…
今引き返してケーブルカーで山頂まで行くか??)
そんな弱い考えも数分したら落ち着き、汗をタオルで拭いてから身軽な格好になって再び歩き始めました。
よく分からないがこの山を下りたら本当に人生終わると思えました。
寄り道していくなかで…
青空の下で街並みを眺めるのはどれくらいぶりだろう。
いつもより遠くまで見える気がする。
言い忘れたが僕は登山の経験者で関東圏の山をそれなりに登っている。
しかし、参拝道や人が多い道は避けていて基本一人だけの環境で歩くことにしていた。
しかし今回、大勢が続く道を歩く中で周りに人がいる安心感や景色を楽しむ余裕があった。
本当は誰かと一緒に登りたいという気持ちがあったけど抑えていたのかもしれません。
なぜか今日歩く道は色鮮やかに思えました。
今回薬王院に続く道の中で脇道がいくつかあり、そのいずれもが慰霊碑や石碑に続く道でした。
信仰心はもとい、他人のことなどロクに考えていなかった僕は、過去に山を登って石碑を見ても何も思いませんでしたが、
今回人がいることの安心感があり他人との関わりを求めていたように感じたのか石碑一つ一つにお祈りしました。
そうすることで
"自分が人のために何かをしてきたという達成感を得たかったからだ"
振り返るとそんな気がします。
脇道を戻り薬王院へ続く道を歩くと…
分岐路があります。
どちらに行くかは決めてませんでしたが、神々しさを感じる左の道へ
身体、言葉、心の3つが煩悩(わずらいや悩み)の元というのが仏教の教えであり、”三密の道を歩く際に煩悩を消すことに集中せよ”とのことです。
まさに自分の今にうってつけだと思い門をくぐり石段を登ることにしました。
石段を登ると”仏舎利塔”という教会のような建物がありその周りに三密の流れで煩悩を消す門がいくつか設置されてました。
門に刻まれた言葉は人として当たり前の言葉ばかりでしたが、
なぜか目新しく感じられました。
特に”うそをつかない”という言葉は虚勢を張りがちで目上の嫉妬心だけ持つ今の自分には印象深かったです。
山頂に至るまでの寄り道は、自分自身を見直すために必要な行動であったかもしれません。
頂上から見えたもの
その後、仏舎利塔近くに慰霊碑があったので、お祈りしたのち
本堂に到着。
賑わいは凄かったですが、個人的には寄り道での出来事を想起していたので長居はしませんでした。
その後、本堂左の石段を登り歩くこと30分弱。
到着時刻は午後を少し回ったところ。
雲一つない晴れ間で丹沢の山々と富士がよく見えました。
頂上到着後はお腹が減っていたので食事処を探しましたが…
選んだのは売店で売られていた一本200円のラムネ瓶でした。
少しづつ飲みながら、高尾で賑わう人々を見ながらこれからのことを考えようとしました。
『そういえば何を悩んでいたっけ…?』
何もかもうまくいかないことを悩みながら引きこもっていた日々。
でもこの日考えたことは、
目の前の道を歩くことと、寄り道して出てきた言葉や慰霊碑に想いを馳せていたことです。
そして至った結論が
『何をするか決まってないけど、
とにかく目の前のことを一生懸命頑張ってみよう。
多分、その中でいろんなものが見えてくると思うから。』
その答えに納得感を持つことができ、下山しました。
余談ですが、下山時とても素敵な出来事があったのですがその時の出来事は別の記事でお伝えいたします。
答えは見つかっていないけど
下山から約2週間。
相談員の方と改めて面談し、施設に通うことを選択しました。
その傍ら、Twitterやライティングが好きだったのでwebライターの勉強を少しづつ進めています。
僕の夢は世界を旅しながら麻雀を広めることです。
その為の手段として、麻雀業界で働いたり、外国に行ったりと自分なりの方法を模索していました。
でも夢ばかり追っていて、目の前の自分の障害特性や出来てないことに目を向けず生きていき、失敗し続けました。
だから自分のやりたいことや夢とは違ったことでも
今は目の前のことに集中することにしています。
その結果が自分が望んでいたこととは違うことになっても
別の納得感を得られると信じ、今日も目の前のことを頑張っていきます。
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