見出し画像

弱視のわたしが10年続けたピアノの練習の仕方と効果

わたしは、3歳から約10年ほどピアノを習っていた。

3歳の時、家のそばの個人ピアノ教室に初めて行った日のことを今でも覚えている。

ドキドキしながらピアノに触って、自分の指から綺麗な音色が生まれたときの嬉しさ、隣で優しい先生がニコニコしながら座っている様子を覚えている。

歌が好きだったわたしは、ピアノを習い始めるとすぐに、まずは子どもの歌のコンクールに出たら?という先生の提案で【黄金虫】という歌を練習してコンクールに出した。賞をもらうとかはできなかったけど、それがすごく楽しくて歌やピアノ、音楽が好きになるキッカケになった。

わたしは弱視で目が見えにくいから、練習するときには母の協力と、練習する際の工夫が必要だった。

ピアノの楽譜は小さい。コピーすると五線の間隔が広がるし、とても見づらくなる。

そこで母は、わたしがピアノを習っていた10年間ほとんどの楽譜を手書きで大きく書いてくれたのだ。

以前書いた記事の拡大写本のように。

10年も習っていたら楽譜の数はすごい量だったはずだ。

発表会の楽譜をもらったらすぐに、長い曲の楽譜も大きく書き写してくれた。

母は、ピアノの楽譜のときもそうだが、他の赤毛のアンなどの本のときも、文字だけでなく絵も丁寧に書き写してくれた。文字だけや楽譜だけだとシンプルになるけれど、可愛く色鉛筆を使って絵も描いてくれたから、ぬくもりを感じることができて、それがすごく嬉しかった。

その母が大きく書き写してくれた楽譜を受け取るところから、わたしの練習は始まった。

まず、わたしは楽譜を手に取って覚えられるところまで覚える。

覚えたら楽譜を前に立てかけて弾いてみる。何度も何度も弾いて、楽譜を見なくてもいいくらい弾いてみる。

それからまた楽譜を手に取って覚えて、弾いてみる。その繰り返しをして、最後まで楽譜を見ないで弾けるように練習した。

目が見える人ができる、楽譜を見ながら弾く、ということがわたしにはできないから、最初に集中して覚えてから弾く、という方法。

教室に行って、先生に教えてもらうときも、楽譜を見るときは手に取って教えてもらった。

簡単な曲ならすぐに覚えられたけど、ピアノを続けるうちにだんだんと難しくなり、発表会の曲は長いし大変だった。

泣きながら練習したこともあった。

でも、綺麗な音色になったときの喜び、一曲綺麗に弾けたときの喜び、発表会で沢山のお客さんの前で弾けたときの喜びが大きくて、10年続けることができた。

ピアノを弾くのは楽しいばかりでなく、泣きながら練習した思い出もあるけれど、弱視と難聴のあるわたしがピアノを10年続けたことは人生で大きな収穫になったと思っている。

楽譜を覚えて、時間をかけて、一曲を弾けるようにしたことで、暗記力がついた。

発表会で楽譜に頼ることのできない状況でピアノを披露した経験で、人前で何かを披露すること度胸がついた。

おそらくはっきりとは会場の人が見えないようなわたしだから、ピアノの発表会の経験がなく成長していたら、大勢の人前で何かをすることは怖くてできなかったのではないかと思う。

暗記して人前で披露する練習を続けたから、中学の時、百人一首大会でとるのは難しいから全学年の前で読み手を経験させてもらったり、卒業のときに答辞を読んだり、大人になってからはスピーチの際に丸暗記してスピーチすることができるようになった。もちろん緊張はするけれど。

ピアノは特別上手ではないけれど…何か成果あったかなと考えた時、やっぱりピアノを続けていたおかげでその後の人生で経験できたことも多かったなぁと思っている。

習ったものが特別上手になったとか表彰されたとかそういう目に見える華やかな成果じゃくても…小さいときに頑張ったことは人生のどこかで役に立っている。

わたしは目が見えくかったり、耳が聞こえにくかったり、何かしらハンデがある子どもにこそ、色んな経験や挑戦をさせてあげてほしいと思う。

色んな経験をすることで、なんでもやってみようという気持ちを持てるようになると思うし、その後の人生で何がプラスになるかわからないからだ。

わたしは本当にピアノを続けてよかった。

そしていま、息子もピアノを弾いている。赤ちゃんの時から歌ったりピアノを触ったりすることが好きな息子、自分からやりたいと言ってきた。

今年初めての発表会にも出ることが出来た。

見えにくい子どものピアノをサポートしてくれた母との練習の日々を思い出しながら…

今度は見えにくい母であるわたしが、息子のピアノの応援団になろうと思う。


最後までお読みいただき、ありがとうございます♩ おすすめやサポートいただけたら、大変励みになります😉 いつも、スキヤコメントありがとうございます!