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弱視と難聴があるわたしの妊娠・出産・子育て③ 産後入院生活編~「痛みと優しさ」

わたしは両目0.01~0.02ほどの弱視と、会話の聞き取りが悪い難聴で、オーディトリー・ニューロパシーという障がいがある。

そんなわたしの【弱視と難聴があるわたしの妊娠・出産・子育て】シリーズ③。

前回までのお話はこちら。

【弱視と難聴があるわたしの妊娠・出産・子育て⓵ 妊娠編 「本当に産まれてくるのかな?」】

【弱視と難聴があるわたしの妊娠・出産・子育て② 出産編~「やっと会えた!でも…これからどうなるの?」】


1,高熱

高熱が出て、ベッドに倒れこんだわたし。その時の感覚は、とにかく「こわいこわい…」と震え上がるような怖さだった。

お薬や注射、点滴をさし、なんとか翌日には高熱は下がったけれど、その後もひどい具合の悪さが続いた。

それでも、赤ちゃんのお世話をなんとかこなしていたけれど、どうもこの具合の悪さはおかしいのでは?とわたしは思い始めた。

2,二人の研修生との出会い

産後5日目あたりに、研修生の女の子二人がやってきた。研修生たちは、それぞれ担当の患者さんを割り振られていたようで、その子たちの担当はわたしだった。

とても可愛らしい二人の女の子は、息子の沐浴体験をすることになり、

「大切な赤ちゃん、先生方もしっかり横で見ててくださるので、わたしたちにも沐浴させていただけますか?お願いします!」

と、それはそれは真剣な眼差しでお願いされたことを覚えている。

「赤ちゃんの沐浴、すごく勉強になりました!赤ちゃんお母さんにそっくりですね!」

初めて、家族以外に「お母さんにそっくり」と言われて嬉しかったこと、「お母さん」と言われて胸がドキドキして嬉しかったこと、忘れられない。

そして、あの子たちは一生懸命勉強していて。

「絶対に助産婦になります!}

とわたしに夢を語ってくれたり、これからの子育ての不安や身体のだるさを忘れるほど、話しかけるときにはニコニコしながら楽しいお話をしてくれた。

あれから6年。あの子たちは、きっと新しい命の誕生に立ち合い、お母さんたちに寄り添う優しい助産婦さんになっているんだろうな。また会えたらな~と密かに思っている。

3,電流が流れている?!

産後一週間ほど経ったころ、具合の悪さはいよいよ耐えられないほどになり、わたしはベッドから起き上がれなくなった。

電流が身体中を走っているような強いビリビリとした感覚とひどい痛み。

起き上がれないどころか、ちょっとでも身体を動かすとビリビリが襲ってきて、悲鳴をあげるほど。

座ることも立ち上がることもできなくなった。

お医者さんも看護師さんも、わたしのような状態の人を見たことがなかったらしく、「なにがおこっているの?」「そんなに痛い?」と驚き、困惑していた。

「過去に似たようなケースの人がいない」

そう言われたわたしは、怖くてたまらなくなった。

身体を動かすたびにビリビリ、悲鳴。嘘じゃないのに、この痛みを信じてもらえているのかという気持ちになる。痛み止めをもらっても、少ししたらまたひどい痛み。

数日は、お世話をすることもできなくなり、赤ちゃんは日中は家族が、夜は新生児室で見てもらうほかなかった。

赤ちゃんのお世話したいし、可愛がりたい。

でも、ひどい痛みで、起き上がることも歩くこともできない。

どれほどの痛みなのか、わたしにしかわからないから、

「産後によくある痛みね。自分でおむつ変えたほうがいい。」

と言う人もいて、理解されない苦しさもあった

ほんとうに悲鳴をあげるほどの痛さで起き上がれないのに・・・

数日は起き上がれず、お世話もできず。

その後、一週間は座るのも痛いけれど頑張って車椅子に乗り、おむつを替えたり、ベッドで授乳。

トイレにも一人じゃ行けず、看護師さんに付き添ってもらった。

やっとの思いで点滴を支えにして、歩くリハビリをし、痛みをこらえながら、少しずつ歩くようにした。

だけど、電流がビリビリと身体中を駆け巡る痛みは、一向になくならなくて。

歩くのもやっとな状況で、原因不明の症状と言われ、ネットで同じような症状はないのかと調べると、いくつもの死亡例が出てきたりして。

「もうだめなのかな…このまま急に意識なくなって死ぬのかも…」

そう、本気で死を覚悟して心配して泣いていた。

そして。

電流の痛みがなくならないということで、退院日も決まらず、お医者さんがわたしに言った一言がショックだった。

「いまよりもっと強いお薬を出そうと思いますが、そうすると授乳はもうできなくなります。どうしますか?」

びっくりしたわたしは、とりあえず考えさせてほしいとお願いした。

授乳できなくなるなんてショックだった…痛みに耐えながら、やっとの思いで授乳も上手にできるようになってきたのに…最初は見えにくいわたしには本当に難しかったけれど、やっとやっと赤ちゃんもわたしも上手になってきたのに…

悩みに悩んで、お薬を強くしてもらうことはやめた。

わたしは痛みより授乳することを選んだ。

辛さのなかの、赤ちゃんとのひと時の幸せのふれあいの時間がなくなることが悲しかったのだ。

4,原因は?

電流ビリビリの原因は、お医者さんの見解だと、

帝王切開の傷口に細菌が入った可能性

だった。

原因は最後までハッキリしなかったのだけれど。

数年後に東京の大きな病院でそのときのことを話したら、

麻酔が身体に合わない体質のため副反応ではないか

この可能性もしっくりくるなぁと思った。

思い返せば、小学生のときの手術のときも、麻酔が効かなくて大変だった。

だから、帝王切開の前に、その話をしたから、少し強めに打ってくれた。

そのせいかもしれない。

はっきりとした原因は、結局わからなかったけれど、細菌の混入か、麻酔が合わない体質か。

どちらにしても、帝王切開による出産の母体へのリスクの高さを身をもって経験した。

よく、普通分娩の方が大変で、帝王切開は楽でいいと思う人の意見を耳にしたことがあるけれど、わたしは声を大にして言いたい。

出産は、普通分娩も、帝王切開も、どちらも本当に大変!

どちらが大変だとか、楽だとかは、ないと思う。

もしも、帝王切開で産んだことに対して、誰かに何かを言われたり、自分自身でもやもやとした思いがある人は、どちらで産んでも、命がけの出産をしたことに、自信をもってほしい。

5,沢山のお見舞いと可愛い赤ちゃん

わたしの入院生活が一か月にも及ぶことになり、家族・親戚・友達が続々とお見舞いに来てくれた。

疲れ切って元気のない産後のわたしに、みんなはニコニコと赤ちゃんを可愛がり、出産のお祝いの言葉や品物をくれ、励ましてくれた。

それがすごく嬉しくて、辛い入院生活のなかで、わたしの心の支えになっていた。

それから、ちっちゃいながらも、日々成長している息子の姿、じっとわたしを見つめる姿に愛おしいと思う気持ちが日に日に増していった。2496gという、低体重児で産まれた息子。

産まれてくるときは、「くるしいよぉ」ってサインを出していた息子。

そんな息子が、少しずつ少しずつだったけれど、日に日に体重も増え、授乳やミルクも上手に飲むようになっていった。

「うちの子が泣いてる!」ってすぐにわかるほどの、大きな声で元気よく泣く息子。

痛い痛いと半泣きになりながら、おむつを替えていたけれど、そんな経験はいままでの人生でなくて、初めて誰かを守るという気持ちがわいてきた瞬間。

この先、歩けるようになるのか…いつ家に帰るのか…と不安に思いながらも、訪れてくれる人たちの笑顔と、息子の存在に救われていた。

6,看護師さんと助産婦さんの優しさ

そして、痛みに苦しみ、悲鳴をあげたり、泣いたりするわたしに、看護師さんたちは優しく寄り添ってくださった。

あの高熱・電流のビリビリからしばらくは、入浴もトイレも一人では大変で、このまま介護してもらう生活になるのでは、と怯えていた。

車椅子生活になるのでは…歩けるようになっても今までみたいな歩き方はできないのでは…そう思っていた。

でも、看護師さんたちは、いつも励ましてくれて、目の見えにくい・耳の聞こえにくいわたしがしっかりと母親になれるようにと、考えてくださっていた。

歩けないと泣いているわたしが歩けるようになるために他の科と相談して色んな治療や看護を試みてくださった。

歩けるように、リハビリメニューを他の科と相談して作ってくださった。

赤ちゃんのお世話を退院後に安心しできるように、大きなフォントで作成されたお世話の方法が書かれた紙を用意して説明してくださったり。

ミルクをあげるために、哺乳瓶に印をつけ、軽量カップでやるならこうするといいとか、目の見えにくい人の視点に立って提案してくださったり。

実際のお世話の仕方も、赤ちゃんのここがこうだから、ここを触って、こうしてね、とわかりやすく、手をとって教えてくださった。

そして、耳の聞こえにくいわたしが不安にならないようにと、最初から最後まで、どのスタッフも、大きな声でハキハキと話しかけてくださった。

思わぬ事態で一か月近く入院することになってしまったわたしに、少しでも安心できるようにと、寄り添ってくださったのだ。

入院生活は長くなったけど、お母さんになるために、看護師さんや助産婦さんに沢山アドバイスをもらえて、わたしはラッキーだと思おう!わたしにとって必要な期間なんだ!

看護師さんたちの優しさに触れて、心からそう思えた。

7,退院、そして育児が本格的に始まる

一か月経ち、まだまだちゃんと歩くことはできなかったけれど、このまま入院し続けていても、いつ歩けるようになるかわからないということで、家族に支えられ、退院することになった。

入院生活が辛かったことのひとつに、いつ退院できるかわからないというストレスもあったので、退院日は本当に嬉しかった。

そして、一か月お世話になった病院スタッフに励ましの言葉をいただいて、周りの肩を借りながら家に帰った。

退院できた!歩けないけどやっと退院できた!少しずつがんばろう!

やっとわたしは、子育てのやる気がわいてきて、がんばるぞ!と心に誓った。

その日から本格的に、わたしの子育てが始まった。


赤ちゃん育児編につづく

このあとは、少しずつ、赤ちゃん育児についても書いてみたいなと思います!

長い文章を、最後までお読みいただき、ありがとうございました🎵












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