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「しゃべらないの?」「なんでもない」という何気ない一言

耳が聞こえにくいと、どうしても聞き返してしまうことが多い。

1:1や1:2の会話の場合は、何回か聴き返しても、優しく教えてもらえることがほとんどなので、とってもありがたい。

でも、グループでわいわいとおしゃべりをしているときは、聞き取れない言葉が多すぎると、もうどこから加わったらいいのかわからなくなり、ただただおとなしくなりたくないのに、おとなしい人になってしまうことが多いのが難聴者の悩みだ。

みんながみんなそうではないと思うが、難聴があって聞き取れないがために会話に入れない場合、「おとなしいね」「もっと会話に入ったら?」と言われることは、言葉では言い表せない悲しい気持ちになる言葉だ。

わたしは、子どものときは、耳が聞こえにくいと思っていなかった。

目は生まれたときからずっと変わらない視力〈0.02〉なのだが、耳はおそらく子どもの頃のほうが聞き取りもよく、中学生以降に徐々に聞き取りが悪くなっていった。

1:1や1:2の少人数なら全然会話を楽しめるし、聞き取れるし、先生も小学生・中学生のころはハッキリしゃべる人が多くて困ることが少なかった。

でも、給食の時間やグループになると、途端に友達が何を言っているのかわからなくて会話に入れないことがあった。

「なんでだろう?みんなが何言っているのかわからないけど…言葉が理解できないの?わたしってバカなのかな?」

とすら思ったことがあった。けれど、ほんとうはわたしのオーディトリー・ニューロパシーの症状の一つで、子どもの頃から集団になると聞き取りが悪かったのだ。

そんなことを本人もわかっていないのだから、周りもわかっているはずがなく、会話に入れない時間が続くと「しゃべったら?」「おとなしいね」と思われる。

おとなしくしたくておとなしくしているわけじゃないから、それがすごく悲しかった。

「えっと、で、今何言ってた?」

と言えば、ただの話を聞いていなかった失礼な子になるのだ😢

音は聞こえているから、聴力検査でも耳が悪いということはわかっておらず、子どもの時は自分でも訳のわからない状況。

状況を理解できていなかったら、周りに説明できず、対処方法も思い浮かばかった。

それでも必死にグループの会話に入ろうと頑張る。

すると、話の流れを遮ることになるから、

「今何言ってた?」と聞くと、ほんとうにくだらない話だったのか「なんでもないよ」と返ってくることもあった。

「なんでもないよ」

言われた回数が多い言葉なので、くだらない会話を聞き返された場合、思わず言っちゃう人が多いセリフではないかと思う。

わたしだけじゃなくて、ほかの耳の聞こえや聞き取りがよくない難聴の人、年配の方に対しても、無意識に返してしまう言葉ではないだろうか。

できれば、わたしは「なんでもないよ」と言う言葉は、少なくしてほしい言葉だなと思っている。

だって、そのなんでもないことを、耳の聞こえの悪い人だって知りたいのだから。くだらない会話を楽しみたいのだ。

それから、わたしと同じように、聞き取りが悪いことに気づいていない子どもがいまも日本中にいるかもしれない。子どもだけじゃなくて、大人もだが。

「おとなしいね」「もっとしゃべったら」と言われると、聞き取れていない場合、どうしたらいいのかわからなくなる。

1:1や少人数だと元気に話しているのに、グループになると途端に口数が少なくなっている子どもがいたら、ただおとなしい性格という可能性だけでなく、聞き取れていない子もいるかもしれない。

子どもはそのことに気づけないことが多い。子どもの頃のわたしのように。

音は聞こえているけれど、言葉が聞き取りにくい可能性。

少人数なら聞こえるけれど、人が増えると聞こえなくなっておとなしくなる。

賑やかな場所だと、何を言っているのかわからなくなる。

そんな子が身近にもしかしたらいるかもしれないことを、専門家だけでなく、多くの人が知ってくれたらうれしい。

大人のわたしが、経験談を語って、こんなことがあること・子どもの時に感じた私の気持ち…もっともっと知らせていきたい。


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同じ思いをする子どもが減ってほしくて。
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