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今の自分だからできるようになったこと

弱視で見えにくいわたしは、その人のもつ雰囲気に敏感だ。近くを通り過ぎるとき、顔がハッキリ見えなくても、雰囲気でどんな人が察する。

大きなリュックを背負って小柄、髪の毛は短そうだから男の子、小学校高学年くらいかな?

息子と同じくらいの大きさ、髪の毛や洋服の雰囲気から考えると、女の子だな。

年配の方が押しているカートを持っているから、80代くらいの女性かな?

髪の長さ、色合い、雰囲気的にわたしと同年代かな?

そんな風に、ハッキリ見えなくても、雰囲気ですれ違う人を認識している。

時々、ベビーカーを押しているから親子だ!と思ったら、ワンちゃんだった🐶なんてこともあるけれど。

カラスやハトのような鳥は、顔が見えなくてもどっちかわかる。動作で感じ取るのだ。

よく会う人だと、なぜだか距離があっても誰だかわかるときがある。そういう人は、「雰囲気力が高い」とわたしは思う。

でも、だいたいの人は、たとえ家族であろうと、声をかけられないとわからないこともある。その日の服装がわかっていれば、離れていても比較的わかるのだが、服装という前情報がなければ、それが誰であってもわからなかったりする。

ただし、雰囲気はわかる。どんな人なのか。優しそうか強そうか。感じ取って見ている。それが、わたしの見え方なのだ。

出逢う人には、自分の目が見えにくいことは伝えるが、ここまで詳しく話し、その見え方を理解してもらえるようになるまでには、ずいぶん時間がかかる。一見見えているように振舞うので、見えていないようには見えないからだ。そりゃそうだ、カラスが飛んでることもわかるし、(雰囲気で)ちょっと離れたところに自販機があることもわかったりするのだから。やっかいな目なのだ。

この曖昧な見え方だからこそ、子どもを産んでからは特に身近な人に見え方を説明するように努めてきた。子ども関係のママ友さんには、たとえ昔に伝えたことがあったとしても、何かの機会があれば再度伝えるようにしている。

そうすると、声をかけてもらいやすくなり、笑顔で挨拶する機会が増えた。学校内は実はあまりバリアフリーとは言えず、見えにくいわたしにとって歩きにくいのだが、ママ友さんと一緒に歩いているとさりげなく腕を貸してくれたりする。

「ガイドヘルパーになれるレベル!すごいよ!ありがとう!」

と感動で胸がいっぱいになる。

これは今のわたしだからできていること。

大学生頃のわたしには、この自然と見えにくいことを伝えたり、理解してもらうための行動をとったりすることが、上手にできなくて真剣に悩んでいた。

見えているように見られるなら、それが一番いい。それが一番楽だ。わたしはみんなと何も変わらない。そう思っていた(かった)からだ。

でも、もしも今みたいにもう少し伝える事をしていたら、今感じているような心が癒されるような誰かの優しさ、出逢えた素敵な誰かがいるのかもしれない。

とは言っても、今タイムマシーンに乗って若い自分にそのことを伝えに行ったとしても、行動を変えるかはわからないが。わからないけど、教えてあげたい。もっと伝えようよ、そしたら見える世界が広がるよって。

過去には戻れないけれど、今と未来は絶対に変えていける。今、頑張っている若い子にも伝えていける。

だから、これからは、もっと「伝える」ことを大切にして、自分の見え方・聞こえ方も含めてありのままの自分で生きていきたい。

「伝える」

「行動する」

「感謝する」

もっと広い世界をみんなと見るために、忘れないでおこうと思う


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