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夏の読書に【百鬼夜行シリーズ】

纏わりつくような厄介な熱とその空気をよりいっそう増長させる蝉の声が耳につく季節になった。
もう夏だ。
梅雨が明けたのか否か、あやふやな状態ではあるが、からりと晴れ渡った青空を見上げれば、もう気分は夏である。

蝉の声が聞こえてくると、必ず読みたくなる本がある。

京極夏彦著「姑獲鳥の夏」である。

京極氏の鮮烈なデビュー作・姑獲鳥の夏はタイトルの通り、夏が舞台になっている。劇中の描写に蝉の声や暑さが滲んでいるせいもあり、この本は夏になると必ず一度手に取るのだ。もう何周読んだかわからない。この「姑獲鳥の夏」は同著者の「百鬼夜行シリーズ」の第一作目だ。
僕はこの「百鬼夜行シリーズ」を愛してやまない。
今回は夏の読書感想文として、百鬼夜行シリーズのおすすめポイントをいくつか紹介しよう。

京極堂の長話が良い

この、「百鬼夜行シリーズ」と呼ばれるシリーズの醍醐味はなんといっても京極堂こと中禅寺秋彦の演説の如き長話である。
視点は主に主人公の小説家・関口巽のものである。この関口という男は文士であるというのにどこか胡乱で鈍感なところがあるが、その愚鈍さがかえって読者の立ち位置に近く、京極堂の語りへの疑問を投げかけてくれる。わかりやすくいうと、京極堂が先生で関口が生徒のような構図になるのだ。わからないことがあったら関口が読者の代わりに質問をしてくれる。読者がわからないと思う部分と関口がわからない部分がマッチするように持って行く語り口も絶妙だ。これは、京極氏の筆の巧妙さだろう。
質疑応答の形をとりつつ、京極堂が怪奇について膨大な量を語る様は読みごたえ抜群だ。
姑獲鳥の夏では、この2人の会話は冒頭95ページに渡って繰り広げられる。ほとんど場面転換のない中で繰り広げられる会話だというのに引き込まれるのは京極堂の口のうまさのせいなのだろうか。
また、京極堂のこの語りは物語の鍵となる。とにかく長いが、6割くらい理解していると今後の展開や謎解きのターンでアハ体験ができるだろう。それほどまでに、多くの伏線が京極堂の語りの中には含まれている。
京極堂というと、古本屋で神主、祈祷師の部分をピックアップされがちだが彼の魅力は膨大な知識量とその語りのうまさにあると思っている。

関口君の存在は凄い

上で胡乱だ、愚鈍だと書いた関口だが、小説で飯を食っているだけあって細かいことにもよく気づく。一人称視点だとその表現は登場人物のものなのか筆者のものなのか悩ましいところではあるが、それでも関口の表現力と観察力には脱帽する。
彼は自己評価がかなり低く、周りからも酷い言われようをするが、事件の鍵になることに気づいたり、京極堂を動かすほどの発言力を持っていたりする。いや、発言力というのは少し違うかもしれない。彼は他の人物たちから信頼されているのだ。作中の人物たちにどれだけ罵られていようとも結局関口を中心に回っている。それが主人公というものなのかもしれないが。
あとは、彼の語る場面は非常に繊細でわかりやすく、情景が伝わってくる。これはもうほとんど京極氏の文章のうまさと比例しているのだが、細かい部分までしっかりと描かれている(語られている)おかげで読者は鮮明にその場所に立つことができる。
僕が一等好きな彼の比喩表現が、「芥川龍之介の幽霊」である。これは「魍魎の匣」で京極堂を説明する時に使用したものだ。大体の日本人であればなんとなく芥川の顔は浮かぶだろう。それに幽霊ときた。少し誇張をしたようなところはあるが、実にわかりやすく、僕は関口の独特の感性が好きなのである。

榎木津礼二郎は神

少し私情を挟む。
僕はこの榎木津礼二郎という探偵を信仰している。なので、その信仰心フィルターのかかった文章になることを了承して欲しい。
シリーズ全てに登場するこの榎木津礼二郎とは、眉目秀麗、頭脳明晰と、とにかく非の打ち所のない男である。実家も旧華族の大金持ちでまさに天は二物どころか三物以上も与えているといっても過言ではない。
しかしこの榎木津礼二郎は常人ではないのだ。作中の登場人物に言わせてみれば「頭のネジがとんでいる」人物なのである。傍若無人とはまさにこのこと、人の話は聞かないし自分以外の人間は大抵愚図だと思っている。
そんなこの男がなぜ探偵をしていられるのかというと、彼には特殊な能力があるからだ。ここにきて急に突飛な話になったなと思った人もいるだろう。まあ聞いてくれ。彼は「人の記憶を見ることができる」能力を持っている。昔からその能力自体はあったのだが、戦争の際に負傷した左目の視力と引き換えにその力は増したそうだ。
言い忘れていたが、百鬼夜行シリーズの時代背景は、第二次世界大戦直後の昭和である。
榎木津礼二郎の能力に話を戻そう。この能力について、京極堂は「本人も気づかない些細な変化に敏感で、全ての五感を使って人の記憶を再構築して見ている」と語る。ちなみにこれは姑獲鳥の夏で20ページにもわたって説明しているのでかなり端的にまとめたものになる。詳しく理解したい場合は本書を読んで欲しい。
とまあ、そんな不思議な力のある榎木津礼二郎は感覚的に事件を解決することができるので、世間では名探偵と呼ばれているのだ。
僕がこの男を崇拝する理由はわからない。ただ、初めて読んだ時から僕はこの人についていこうと思ったのである。(ついていく?)
とにかく、榎木津礼二郎の破天荒さはときに物語を壊滅に持って行くこともあるが、より深みをもたらしているといえるだろう。

この世には不思議なものなどない

そう、京極堂の座右の銘である。
「この世には不思議な事など何もないのだよ」と、彼はよく言う。
というのも、百鬼夜行シリーズは妖怪の名前がつくミステリーというジャンルになるため、怪談小説だとか伝奇小説だと混同されやすい。
先に言っておこう、百鬼夜行シリーズには一切幽霊や妖怪の類は出てこない。つまり、幽霊や怪異といった存在を認めているが、それを論理的に分解して解決していくという方法をとる。
上手く説明できないな。
僕は、なんでもかんでも幽霊のせいにするのがあまり好きではない。思い込みと脳の拒否反応で勝手に形づくられたものをろくに究明せずにいるのがあまり好きではないのだ。
その点、この百鬼夜行シリーズでは「幽霊を見た!」といったら京極堂がその解説をしてくれる。本当に幽霊だったのか、そうではなくただ揺れ動く木の葉が重なってそう見えたのではないか。あらゆる角度から見て論理的に展開していく。
そして、最終的には謎解きとして「憑きもの落とし」を行うのだ。
妖怪を形象化したうえで巻き起こされる物語の構図は実に面白い。

夏のお供に

百鬼夜行シリーズがいかに好きかを熱弁してしまったわけだが、是非夏休みには読んでいただきたい。
思わずのめり込んでしまうほど巧みな文章力と構成力に魅力的なキャラクター、怪奇的な事件はきっと非日常をもたらしてくれるだろう。
より一層夏を感じたいのであれば「姑獲鳥の夏」と「魍魎の匣」を合わせて読むことをおすすめする。
薔薇と十字の祝福があらんことを。

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