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就学相談に行ったあとのお気持ち

ついにと言うか、やっとというか、就学相談が始まった。ちょっと事務的な、レポ的なまとめも書きたいと思うけれど、うまく筆が進まないので今日はお気持ちをサクッと書き留めたい。

まずシンプルに、疲れた。イチのことをなーんにも知らない人たちに、イチの就学を相談するためには、イチのことをまず知ってもらう必要がある。わかりやすいこだわりの人ではないので、一見すると問題なく普通に見えるイチを、本当は困っていてサポートが必要な人なんですよ~とネガティブな部分をピックアップして丁寧に解説することは、おそらく私が思っている以上に心にグサグサ来る作業なんだと思う。
行き渋りだとか集団活動が苦手なことなんかを、「何故でしょう(キリッ)」とか言われましても。わかるもんなら私が知りたいわ。聞き方に配慮してくれ。

まずは教育委員会への最初の相談が終わったばかり。これから小学校とより具体的な話になっていく。小学校は保育園に行って観察もしてくれるし、そこで保育園の先生からの意見や情報共有もあるはずなので、私以外が見たイチへの評価が加味されることは非常に大きな援護射撃だと思う。園との情報共有は密にしているので、方向性が大きくずれることもないだろう。

イチは本当に運の強い子だと思う。ゆったりとして、発達に理解のある良い園に入れたのもラッキーだったし、療育も良いところに通えている。たまたま親が在宅勤務で、行き渋り等に対応しやすかったのも彼の幸運のひとつだと思う。だから、おそらくだけど、小学校も良い先生や環境に巡り合える。か、小学校がうまくいかない結果、良いフリースクールとか、何かそういうのにつながっていけると思う。彼は生まれついて運が良いと思うので、あまり心配していないと言えば心配していない。

とは言え、そんなもんは気の持ちようみたいなところがあって、実際のところは不安しかない。小学校の先生がイケてなくて何の理解もなく自己肯定感をへし折ってきたらどうしようとか、学校でいじめられたらどうしようとか、そんな気持ちしかない。
イチはよく知らない人からしたら誤解されやすい人だと思う。背が高くて年齢以上に見えることもあるし、利発な人なので、苦手だからやりたくないということがサボっているように見えやすい。損な人だなと思うけれど、そういう人なのだから仕方ない。
私としては、運動会が苦手ならやらんでも死なないし、大人になったらやらない逃げ道なんていくらでもあるのだから、無理にやらなくていいと思っている。いまの保育園は本人の気持ちと親の意向も理解してくださって、当日参加できないとしても練習を楽しめていたし、して欲しい経験はできたと考えてくれている。でも、果たして小学校という教育の場に行ったとき、それは許されるのだろうか?

小学校の先生というのはとても忙しく、大変な仕事のひとつだと思う。やることのボリュームも範囲も大きいイメージがあるし、ブラックな働き方のイメージが強い。そういう中で働いていると、大人はぴりぴりすると思うし、言うことを聞く子どもは扱いやすくて仕事がしやすい良い子だと思う。
そういう中で、果たしてイチは受け止めてもらえるのだろうか。彼を理解してもらえるのだろうか。目に見えてわかりやすい困難がある子は、それらしく配慮されるとおもう。松葉杖をついた人がいたら席を譲るように。けれど生理痛でおなかが痛いなと思っていて、誰か席を譲ってくれるだろうか?それはその状況を知っている友達くらいしかいないと思う。その友達のような存在になれるほど、小学校という場所は寛容な場所なのだろうか。

昨年の秋、小学校の運動会の練習を毎日のように横目に見ながら登園していた。広いグラウンドで、みんな同じ体操服と赤白帽をかぶって、前後左右等間隔に並んでいる。子どもたちは黙って立っていて、拡声器を持った先生は「遅れてる人!みんな待ってるんだから走りなさい!」と叫んでいた。
よくある光景だと思うし、自分の小学校の頃にもそんな記憶がある。小学校とは、そういう場所だ。けれど、親になってから見るその光景はまるで軍隊のようで、小学校超怖い。うちの子には無理だし不登校まっしぐらだな…という絶望感しかなかった。

別に小学校にどうしても絶対行かねばならないとは思っていない。お勉強なんていくらでも方法はあるし、多分学校で勉強するより、興味関心から広げていって知識が増えて、結果的にそれが見につく方がよほど楽しく学べると思う。偏りはあると思うけど、この世のすべてを理解できるほど人生は長くないので、誰しも偏っているからそんなに気にしなくていいと思う。
そんなことよりも、小学校に入ることで心を折られないか。友達関係も大切だけど、わけのわからない大人に無意味に叱られたり、押さえつけられたりして歪まないか。それが私の心配なんだろうと今、書きながら思い至っている。

まあ、どんなに心配してどんなに慎重に準備したとて、結局実際に小学校に通うのはイチ本人なのだし、イチが本当に何に困っているのかなんて、本人にしか知る由はない。拍子抜けするほどスムーズに就学する可能性だってあるし、ですよねー!と手をたたくほど簡単に不登校になる可能性もあれば、最初スムーズに見せかけて途中からですよねー!になる可能性も多いにある。結局のところ、出たとこ勝負でしかないのだ。打てる手は打つけれど、やってみてダメそうならその時さっさと切り替える。別に小学校に通うことにこだわる必要はない。イチに合う方法を見つければいいというそれだけの話だ。

うん。まあ、あまり悲観も期待もしすぎず。良い先生に出会えたらラッキー!くらいの気持ちで。肩の力を抜いていきましょう。

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このマガジンでは、教育委員会、学校、保育園、療育施設等関係施設とのやり取りやその準備について紹介していきます。 また、それに付随する親の気持ちも書き残していきます。

2018年生まれの長男・イチは診断の付かない発達障害です。 2025年度就学予定。 就学相談、療育から放デイへの移行、学童についてなど、年…

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