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単身赴任が楽しい人、単身赴任がつまらない人。この違いは?単身赴任生活から見た考え方、生き方。 戦略的単身赴任生活を振り返る③

埼玉県を代表とする歓楽街の大宮駅の北銀と南銀。自慢では無いですが私は1度もお世話になりませんでした。あんな歓楽街ど真ん中の街に1年近く住んでいながら、

1度たりとも。

土着民の部下とか同期は「嘘でしょ。なんのためにあそこに住んでいるの?」と
よく聞かれたものです。

夜中はよく酔っ払いが叫んでいます。たまに女性の悲鳴の様な声がして窓の外を見たりする事もありました。

マンションエントランスには吐瀉物もよくありました。私はとにかく1度ぐらい繁華街の真ん中に住みたかった。

これだけです。笑 長く住まないと確信の様な予感がありましたので。

確かに最初は久しぶりの1人暮らしも悪くはなかったです。正直いうと。

でもダイエーで買い物をして、大栄橋を渡って帰る時に手に重たいレジ袋を持って帰る時が日に日に寂しさが増していったのを今も覚えています。

あと最初の3ヶ月はどうもお風呂に入るのが、なんか人の気配がして嫌でした。いつもシャンプーしている時は

シャンプーが目に入るのですが、眼をガン開きして頭を洗っていました。笑
53歳が何やってんだか。 結局幽霊を1度も見た事無いのですが、怖いと感じたら

なんでも怖く感じる時ありますよね。私はテレビの心霊動画特集とか大好きなのですが、この単身赴任中は完全に絶っていました。

そんなの観ようものなら部屋に1人で帰る事が出来なくなりますからね。笑
52歳のオッさんが何を〜と思われるかもしれないですが

これに年齢は関係ありません。

だから入る事が決まってからも事故物件大島テルを良く見ていました。不動産屋さんの部屋案内の時も

「ここ事故物件ではないですよね? 出たら後でクレーム思いっきりつけますよー笑」
としつこく確認していました。。今から思えば少し恥ずかしいですね。

もう一つ歓楽街で陥落しなかった理由が。産業カウンセラー、キャリアコンサルタント、社会起業家養成ビジネススクールのトリプルスクール状態でした。

日々の業務に加えてとてもとても多忙を極めていました。必至でした。

ある意味とても勉強しやすい状態でした。特に1人暮らしをスタートした9月からはこのトリプルスクールは1番最盛期を迎える頃、

又は1番追い込みをかける頃だったからです。以前にもお伝えしましたが産業カウンセラー、キャリアコンサルタントは必ず1発で合格する事を

最大ミッションにおいていました。ビジネススクールも1回足りとも休まず行くことをミッションにしていました。

結果的には両方とも1発合格をしてビジネススクールも1回だけ欠席でミッションコンプリートできました。

次回へつづく

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