ガイド無しで進める人、全員天才説
母親の手料理を食べた時。
友人の作ったお菓子を食べた時。
そういう、誰かが振る舞ってくれた美味しい料理を食べた時。
「どういう風に作ったの?」とか「何が入ってるの?」と聞くと、こう返されることがたまにあります。
「適当に作っただけだから分かんない・・・」
「ちゃちゃっと作ったから~」
この瞬間、私の心の中では、赤ペン先生が「適当」や「ちゃちゃっと」の部分に朱色で波線を引いています。
そして「そこを具体的に教えてください」とコメントをつけています。
ただ実際は、そんな落ち着いたテンションではありません。
「そこを!もっと!具体的に!教えてほしいの!」という、小さな子供が駄々をこねるような具合です。
しかしそうした事を言う相手も、私に対して意地悪をしている訳ではありません。
本当に、適当に、ちゃちゃっと。絶品料理を作れてしまうということが大半です。
特にレシピがなくても、なんとなくの感覚で味を想像しながら作れる人。
調味料をきっちり測らずとも悲惨な味にならず、むしろレシピより美味しいのでは?というものが作れる人。
そうした「目分量」で料理を作れる人や、即興で素材を組み合わせて一品仕上げてしまう人を、私はとても尊敬しています。
自分自身、普段から何においても数字を求めるというタイプではありません。
むしろ「ざっくり」とか「だいたい」といった言葉を使いがち。
それこそ「目分量」な人間です。
でも、料理に関しては、レシピ通りにきっちり作りたいのです。
というか、レシピ通りにしか作れません。
そこから外れることは、恐怖でしかありません。
道しるべを守らなければどんな味になってしまうのか、想像がつかないからです。
もちろん手順通りに作ることも必要だとは分かっています。
基本的な味はレシピから学び、応用を利かせるのはその後だと、頭では理解しています。
だからこそ、そうしたガイドを必要としない人や、そこから外れても美味しい料理が作れる人のことが羨ましくてたまりません。
基本編を攻略して、もうすでに応用編に突入しているからです。
完成した料理の味を想像できる力や、頭の中で手順を組み立てる力といったものは、もはや生まれ持ったセンスなのではないかと考えてしまうほどです。
当たり前ですが、今までの経験から得た勘や感覚といったものもあるでしょう。
なりたいならば努力せよ、ということなのかもしれません。
しかし、レシピ通りにしかできない自分が作ったものと、目分量でぱっとできる人が作った料理とでは、何かが違うのです。
違うけど、何がいけないのか、全く分からない・・・。
そんな挫折経験を繰り返した結果、私が出した結論はこうでした。
「目分量で料理が作れる人は全員天才。」
私がガイドを捨てる日まで、あとどれくらいかかるのでしょうか。
<ここで一曲>
これを聴くと某CMを思い出してお腹が空きます。
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