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映画「月」を観て思うこと#6

先日、映画「月」を観てきました。
今回の内容は月を観た感想になります。
まとまりなくツラツラと書いております。
また、配慮していますが作品の内容に触れているところもありますので、もしそれは避けたいという方は鑑賞後にお読みいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。

「月」は、2016年7月26日に神奈川県相模原市にある知的障害者施設・津久井やまゆり園で起こった殺傷事件がテーマとして取り上げられています。


▽事件の概要と私見

この事件によって亡くなられた方は19名。傷を負った方が26名で、当時はとても大きな出来事として報道されました。
私が勤めている福祉施設でも、利用者のメンタルケアや職員のコミュニケーションが密に取られ、日頃の援助のあり方やこの事件に潜む問題の本質についての議論が行われました。

大きな出来事だったこともあり冷静に考えればとても飛躍した考えだったと思いますが、当時の利用者は「自分は生きていていいのか?」と不安感が膨らみ調子を崩す人も多くいました。

犯人に対しては死刑が求刑されて確定しています。
神奈川県は、再発防止対策等対策本部を立ち上げ、施設については建て替えが行われることに。
事件から7年。事件のあった施設はきれいに建て替えられ、防犯等の対策は強化。そして国民の頭からは事件は終わったものとして(それすら知らないかも)思い出されることはなかなか無さそうです。

そもそもが特殊な環境にある入所の障害者施設。
人里離れたところにぽつんと…誰の目にも止まらず社会的隔離とも言える状態もしばしば。
さらに施設内では拘束具で拘束されたり、部屋や居住エリアの施錠も当然のように行われている現実があります。
一つの施設に160名もの障害者が暮らしている状態は何よりも特殊。(現・やまゆり園は66名)

こうした障害者施設は、障害者総合支援法という法律が根拠法になっています。
施設定員や職員の配置基準、補助金の算定方法についてなど細かい点についても定められており、施設側は事務的対応に追われつつも、見通しの持てない人手不足や運営資金不足の問題に苦しみながら、ギリギリのところで日々支援を行っています。

休みは取りづらく、代えがきかない
・低賃金で給与が上がる仕組みになってない
・障害福祉サービスの運用が精一杯で余白が持てない
・従事者が「ないない(人・時間・お金)マインド」になっている

あげたらきりがないが、一人ひとりが主体的に考えて行動し、組織全体として良い方向にいこうというマインドが持てていないことに危機感を覚えます。
そういうことが常態化していては、いつコトが起こってもおかしくはない。
津久井やまゆり園殺傷事件はそれが表層化したものであり、犯人固有の特異性だけを問うて、防犯対策を強化したところで根本の解決にはならないと思っています。それでは都合の悪いものを排除する犯人の思想と同じになってしまう気さえします。
そんな思いを持ちながら「月」を観ました。

▽「月」を観て思うこと

様々なことを感じたのですが、大きく3つにまとめたいと思います。

◯描写が誇張されている

いちばんに感じたのは、夫婦の生活シーンや施設内での職員のやりとりなど、かなりダーク(影を感じる)な印象があったことです。それぞれが持っている影の部分と、すぐにでも崩れてしまいそうな表層的な部分が行ったり来たりな感じで物語が進んでいきます。一般的に良心的とされるような言葉を発する裏にある、本音の部分がほじくり返されそうな心苦しさがある。
施設内の雰囲気は暗くしすぎている印象を受けました。そこまでやらなければ伝わらないのかもしれないが…たしかに、古い施設(都道府県が設置主体の)や精神科病院ではまだまだああいった雰囲気のところは残ってそうな気もしますが、結構強烈な印象を残しました。

◯さとくん(犯人)の思想の背景をもう少し知りたかった

映画の後半に行くに従って、さとくんの思想が表に出てきます。実際にこの殺傷事件のあと、犯人が「意思疎通のとれない障害者は安楽死させるべき」との発言をしていて、映画中においても同様の思想が表に出てきます。
施設で働いている中で目の当たりにした状況と、それが常態化していることへの問題意識を当初は抱いていたのに次第にその考えが変わっていってしまうというように描かれていたと感じました。
施設での体験によって、そこまで思考が偏るものか?という疑問が。。。
さとくんの思想の変化にスポットを当てるとするならば、その辺りの描写はもう少し欲しいと感じました。事件の背景にある問題の一つに、なぜ偏った思想を持つようになったかという環境要因があると思いますが、やはりそこには触れられなかったのだろうか…と。

◯作品が伝えたいメッセージは伝わった

見たくないものに蓋をする。現実を見ようとせずに綺麗事を並べる。それでは問題が先送りになるだけでなくまた同じことが起こる。
自分が見たくないものは見ないようにして生きていける時代になってしまったけど、本当にそれでいいんですか?と問いかけられた思いです。

▼まとめ

相模原市障害者殺傷事件が物語のテーマになっていましたが、形は違えどこの「優生思想」に基づく問題は多発しています。
国策として人口抑制や経済成長をベースに制定・施行された「旧優生保護法(1948年〜1996年)」という法律がありますが、この法律によって障害者=不良だということが明文化され、優生上の見知から不良な子孫の出生防止を目的にして対象の疾患や障害のある人たちが優生手術によって子を持てない状態にされてしまいました。場合によっては欺瞞(騙すこと)も認められていました。

社会全体に、また、個人個人の中にある「優生思想」を見て見ぬふりをするのではなく、"そういう考えを持っている自分"がいないだろうかと省みる。
すぐに自覚的になれないのかもしれないが、まずは事実から受け止めて行きたいと思いました。
きっとこうした事件をテーマとした映画は賛否両論あると思います。
ですが、形は違えど伝えたいメッセージの根本は近いものがある。様々な媒体を通して世の中に発信されて行くことが必要だと思います。この映画の制作に関わったスタッフさんやキャストさんには少なくともこの事実が伝わったのではないでしょうか。

旧優生保護法によって被害を受けた方々が、国を相手に裁判を起こされています。
先日は、仙台高裁で勝訴。
オンライン署名もやっているそうですので、まずはやれるところからやってみようと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。
感情的に書いてしまった部分が多く読みにくかったかもしれませんが、自分自身の気持ちをあまり整理せずストレートに発信してみようと思いました。

今後も発信活動をしていきますので、応援よろしくお願いします。

【11月23日追加】
Voicyパーソナリティの尾石晴さんが映画「月」とやまゆり園事件について放送されていました。
優生思想の芽は誰もが持っているもの。自分の中にもあるということを認識して、コントロールしていくこどが必要です。決して優生思想があること自体が悪いのではありません。自分の思考に正直になり、それを語るところからはじめていけばよいのだと思います。


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