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【あなたなら、できる】

そう言われ続けて、生きてきた幼少期。

どうも皆さんおはようございます
ひびのかつまです。

まず初めにどんな投稿をしていこうかな
と考えたときに思い描いたのは、
自分自身の人生のストーリーでした。

なので、今日は自分の幼少期から学生時代
両親にどんな教育受けて育ってきたのか
そこまで遡ろうと思います。

どんな家庭だったのか?

わたしが生まれたのは1991年2月21日。
父親はそのときには既に会社を経営し、
母親はそれをサポートするように経理をしていた。
そして、3つ歳上の姉がいて、わたしがいる
そんな家庭に産まれ落ちたわたしであった。

両親がとても優秀であったのであろう
学生時代は何も不自由なく生きてきた気がする。
両親の仲も良好、姉とわたしの仲もよい
自分で言うのもあれだが、とても恵まれていた。

学生時代は器械体操を励んでいて、
友達ともあまり遊ばずにとにかく練習していた。
その努力が報われたのか、全国区を経験し、
いまでもその環境で培った志しが活きている。

だが、転換期は高校三年生の頃にきた。

わたしの部屋のリフォーム

ある日、家族で一軒家の古屋に引っ越した。
特に古かったわたしの部屋を見かねて
父親がたった一日でリフォームしてしまったのだ。

その仕事をする父親の姿と、
あまりに驚くほど綺麗になった部屋を見て
『親父まじでかっこいい』と、
心の底から父親を尊敬するXデーだったのだ。

そこからスポーツだけに励んでいた少年が、
将来どのようにして働いて家庭を支えていくか
を、少しずつ考え始めるのである。

大学で感じた人生の違和感

大学に進学し、スポーツに励んでいたのだが
ある日いきなり思い立ってしまった。

自分はこのままで父親みたいになれるのであろうか。

それを考え始めてしまったら止まらない。
体操で培ってきたものは大きかったが、
このまま続けて家庭をどのように支えていくのか
という疑問に対して解決案が出なかった。

気づいたときには15年間続けていた体操人生に
あっという間に終止符を打ったのである。

父親の教え、人を残す人になる

どんな仕事も人がいるから、
お金を残すのではなく、人を残すんだ!
と教わった。

人と人の繋がりを持つためにサービス業を
ということで始めた居酒屋でのアルバイトは
間違いなく良い経験になったと言える。

お客様との対話の中での営業
人の名前と顔を覚え、好みを覚えるということ。
お客様を気持ちよくするというサービス業の理念

発注、備品管理、原価率管理、人件費管理、利益率
仕事と数字を結びつけて考える
アルバイトでも多くのものを吸収できる。

そして、対価としていただく給料が
とても価値があるものだということを知った。

こうして大学を卒業するまでに
必死に働き、必死に学んだわたしであったが、
うまくいきすぎた人生には穴がある。

少し仕事ができるようになり、
お金を自分自身で稼いでいくうちにわたしは

天狗になったのだ。


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