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うっすらとした学校との繋がりと、ほろ苦さを抱えて。

息子は、小学校の卒業まで「もう教室には、入らないだろう」とどこかで思ってた。それでもいいやとも思ってた。

家庭教師の先生と楽しそうに「雨はどうして、しょっぱいか」なんてテーマについて語り、笑い声が聞こえてくる。先生は「子どもの発想ってホント面白いですね」と言ってくれる。

週に一度だけ通級に行く。得意のプログラミングを学び、フリースクールでは友達もできて、楽しい居場所になった。
学校に行かない選択をしてから、いろいろ紆余曲折あり1年ほど経った頃。
やっとそのペースで落ち着くようになってから彼は言った。

「僕、今に満足しているから、このままずっとこうしていたい」

そんな風に言えるって、幸せなことだと思った。
人生はそれでも必ず変化もやってくるから。
今はその気持ちを大事にしたいと思った。

少数派であることはよくわかる。
でも彼は、本当に生き生きとしてきたから。
だから私もようやく心から「これでいいんだ」と思えるようになった。


******

教室に行かなくなってから、さらにもう1年以上過ぎていたのだ。
そんな彼が「教室で給食を食べる」約束を、先生としてきたと聞いた。
担任の先生に「送迎をお願いします」と言われる。



え?なんですと?

ビックリなんですけど。
教室行くんかい?いまさら。



たぶん、彼にとっては「今日はマクドナルドのポテトが食べたい」くらいの気楽さで約束してる。「まあ、給食美味しいし、同級生がいるのもたまにはいいかな」くらいの気楽さ。

そして、私も実は最初は同じ気楽さでいた。

そしたら、学校と連絡を取ってもらってるフリースクールの先生に「給食食べに行くんですね」と聞かれ、自宅には事前に学校から電話連絡が来た。

周囲がそのために考えて準備をしてくれているんだと思うと、それは彼への想いや愛情なんだととてもありがたく思う。

と同時になんだか変な緊張が高まりもした。息子はめっちゃ気楽に言ったのだ。ドタキャンは十分あり得るのだ。だから、準備してくれた方にご迷惑をおかけする事になりはしないだろうかと戸惑う気持ちも顔を出す。

「子どもなんだから迷惑かけてなんぼよ!」

って人の子には言えるくせに、我が子となると恐縮する。
そんなこんなで私は、自分で勝手に「子どもが迷惑かけたら後を始末しないとならない」気持ちになり、最初の気楽さはいつのまにか薄れてしまった。


学年末の最終日。
彼にとっては今年度最初で最後の教室となる。


校舎って場所は、あそこにしかない雰囲気を持っている。
全部が子ども用だからなのかな。
使い込まれた木の風合いと、一段の高さが低い階段。
光が玄関から差し込むと、なぜか少し淡くて渋みをまとって、校舎内まで入り込んでいく気がする。


そして気付いてしまった。
私は、この風景とともに、どこかで思い出しているんだな。
学校に送迎したり、教室で一緒に過ごしたりと「少しでも工夫したら学校に行けないだろうか」と試行錯誤した日々のこと。
それがきっと胸をざわつかせている。


本人は驚くほど、なんてことない様子で教室に入っていった。話しかけてきたお友達も、まるで昨日まで一緒に授業を受けていたかのようだった。

子どもってすごいな。



私だけが、その時の感覚の中で止まっていることに気付く。
あの日々はほろ苦い思い出だ。
お母さんが教室に付き添えば学校に居れるからって理由で、私はしょっちゅう教室にいた。

後ろで立たされている子の定位置みたいな場所にずっと立ってた。
でも親になるだけ年は取っているから、小学生とは違う貫禄は出ていて、たぶん居るだけで先生にとっては圧もあったんじゃないかと思う。


後ろで立っている私は、息子の表情と他の子どもたちの感情を感じて、不思議な罪悪感を抱えていた。もちろん私自身のためにそこにいるのでもない。先生にも圧を与えている。


なんのために、私、こうして何時間もここにいるのだろう。


学校が居場所と感じられなくなった息子と同じように、私にとっても学校にいることが苦しくなっていった。
学校に送迎するということは、あの苦しさを思い出すのかもしれない。
送迎するのが好きじゃないって、心で感じてる。


だからこそ、2年以上経った今。
そのことを忘れていた今。
もしかしたらこんな機会を、神さまからもらったのかもしれないな。
もうこのほろ苦い気持ちを、そろそろ手放して優しくしてあげなって。


ちょっと教室に送迎するだけで、こんな気持ちになるんだ。その感情を否定するでもなく、注目しすぎるでもなく。「その感情は私の一部なんだよ」と自分に言い聞かせる。

否定することは、過去の自分を傷つけてしまうから。
私の中の中心じゃなくて、ごく端っこに優しく包んで置いてあげる。
そのほろ苦さは一緒に抱えてあげるんだ。
そしたら、そろそろこだわりを手放せるのかもしれないな。


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