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ちょっと素直じゃないかもしれない私なりの想いのカタチ。

先日、ガウディの展示を見に行きました。

展示を見に行ったはずなのだけど。
そこで出会った音楽も
とても素敵だったから。

もしよければ聞いてみてください。

今日はちょっと記事も長くなっちゃったから。
ゆるりとご無理なくどうぞ。

聴き流しやすい感じの音楽です。
美しいものが好きな感性豊かな方は
きっと心が休まるんじゃないかな。

讃美歌みたいなの。


CURTAIN CALL



読んでくださった方とも、
心が喜ぶ時間を
共感できたなら嬉しいです。


ガウディ展感想

人間は創造しない。
人間は発見し、その発見から出発する

これが世界的に有名な創造者である
ガウディの言葉かと思うと、とても感慨深くて。

創造するって。

ゼロからイチを作り上げるつもりでも、
実は今まであったものの中から、
発見を繰り返している。

あのガウディが、切実に感じてたこと
だったのですね。

自然の中にある法則。
氷の結晶なんかもそうで、
自然に生まれた形や色ほど、
美しいものはない。

実はすでに慣れ親しんだ身の回りのものを。
どれだけ深く、細部まで知っているか。

ガウディは、
それを誰も成し遂げられないくらい
細かく知った上で。

知ったもの同士を組み合わせ、
その発想でモノを捉え直して
また新しいものを作っている。

昆虫や草木などの自然界に生まれた
そのままの形状をモチーフにして。

現象の中で起きるバランスを大切にして
それらをモデルにしながら、
構造体を作っていた。

それが建築物として成り立つこと自体が
私にはとても不思議だけど、
まあとにもかくにも、美しさは半端なく。

サクラダファミリアの
入り口を入った瞬間に広がる世界は、
ため息が出るほどの神秘的な空間だった。

幾何学的な模様と、細部までのこだわり。
光の入り方、建築物に持たせた深い意味。

知れば知るほど深みのあるその造形は、
どこまでも、何かが隠されていて
見ていてとても面白い。

ガウディは、おそらく
観察者としてのこだわりが強くあった人
だろうと思うし。
当初は、人々に理解されるものでは
なかったかもしれない。

彼のこの才能を、
実際に現実のこの形にするまでには
周囲の人たちの多くの協力もあったのだろう。

受け継がれて少し形を変えながら、
今も建て続けられているサグラダファミリア。

その人がその人らしく歩み続けること
への勇気まで教えてくれる。

世界中の人に勇気を分けている象徴の建築物は、
いったいどれだけの人々へ貢献して
ここまできたのだろう。

展示を見ていると、さっきの曲が聞こえてきて。

教会であるサグラダファミリア。

とっても綺麗でちょっと切なくて、
それでいて、少し心が洗われるような。
そんな感じがします。

*****
役割に徹した気持ちではなく、
ただ人としての等身大の。

本当の人の気持ちが知りたいと思っています。

数字のような形に見えるもの。
察するものから、わかるもの。
そこに喜びも、悲しみも、動く気持ちも確かにあるけれど。

それだけではわからない奥の本当の気持ちは
それはあいてに聞いてみないとわかりません。

誰のために、どんな目的で、どう在ることを、
私に対して期待し、望んでいたのでしょうか。

その時、本当はどんな気持ちだったのでしょうか。

伝わってくる気持ちには変化を感じています。
その気持ちはとても嬉しく。
だからこそ、今なら正直に話してもらえないだろうかと、
願ってもしまいます。

状況や事実を振り返る必要はなく、いつものやり方で構わない。

でももし差し障りがなければ、その時の正直な気持ちは知りたい。
それが私の願いです。

それは、たとえどんな形であったとしても。
どんな気持ちであったとしても。

私のこれからにとってはそれはありがたい、
納得になるだろうと思います。

一つ、知ってもらいたいのは。

今まで教わったことが私の土台になっているのは間違いないことです。
それが基礎であり、誇りに思います。

さまざまなものを取り入れ、多角的にみて、
時には既にあるものを疑いながら
その中から今、納得するものを選択する。

それはきっとわたしたちにとって、
自然な学び方であるかと思います。

それは、決して何かを否定したわけではなく、
そこにある知識は半端なく素晴らしいともいつも思っています。

きっとこれからも。

ただ素晴らしいからこそ。
誰しもがその知識を得たからといって、
それが同じように使いこなせるわけではなく。

少なくとも私にしてもらった方法は、
もうされないだろうとも思うから。

志と目標がとても高いからこそ、
大好きだからこそ、時間をかけないことを目標にされてるからこそ。

そのことが勿体ないなんて
思ってしまったことがありました。
いつかまたと、思う気持ちは同じです。

もし私だけが特殊なパターンで、考え方がマイノリティだからと
いうことで済むならそれでいいのです。

ただ、これからのみんなのためになるなら。信頼があるなら。
もし私の体験と感想や意見が必要であれば、可能な範囲の協力はします。

そんな提案をするくらいなら我が身をまずは考えろと思われるような
踏み込みすぎていることなら、流してください。

それは私の信念であり、自分軸でもあり。
私なりのちょっと素直じゃないかもしれない。

私なりの愛をもったけじめのカタチなのです。

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