感性と想像力 知性につながる合理性

一つの言葉を凝視することで、世界はまるで違った姿を現わすことがあります。
ただ、一つの言葉が世界の深みへの扉であることを知ると、世界はもっと広がると思うのです。
それは想像力ともいえるでしょう。


「すがた」は、姿とも書くが「象(すがた)」とも書きます。
今日では「象」の文字が単独で用いられる多くの場合、大きな動物を指すばかりになってしまいました。
ですがこの文字に一文字加えるだけで「象」はそのちからを取り戻します。
たとえば印象、心象、そして形象などがその一例でしょう。


そしてある物事から広がる、想像力ほど大切なものはないと思っています。
それは表現者だけのものではなく、仕事や日常における人間関係においても欠く事はできないのではないでしょうか?
実際、想像力の欠如による失敗や誤解、すれ違いなど問題を上げれば枚挙にいとわないかと思います。


さて想像力は鍛えることができるのでしょうか?
多くの人が混同されているのでは?と思うのですが、空想力と想像力は似て非なるものです。


例えば想像力は、人に現実や真実を実感させることができますが、
空想力は、どこまで広げても現実や真実を実感することはありません。

もちろん、空想に遊ぶことも必要だとは思いますが、真に優れたスピーチや文学などは、
聴衆や読者に空想を喚起させるだけでなく、想像の力にもアシストします。

想像は、存在しない事を無秩序に想うことではないのです。
見えない意味やつながりを認識し、事象をより現実的に捉えようとする試みと言えるでしょうか。

おそらく、こういった構想力のない想像力はほとんどの場合、空想の延長でしかありません。
構想力、すなわち想像力における現実は、見える物、見えない物の両面で構想しているのです。


哲学者である三木清氏の遺作「構想力の論理」において、興味深い記述がありました。

著者は構想力を探求する動機について
「客観的なものと主観的なもの、合理的なものと非合理的なもの、知的なものと感情的なものを
いかにして結合し得るかという問題であった」と述べています。


空想は、非合理的なもの、感情的なものに埋没し流されてしまうことが多々あります。
想像は、非合理的なものも感情も排除することなく、それらを合理性と知性に結び付けようとします。

ここにおける知性は学習力などではなく、経験に裏打ちされた叡知に他なりません。



人に歴史あり、と言いますが、
空想力は未来へ、あるいは非現実的な方向へ導きます。
一方、想像力は過去へ立ち返る時をも求めます。

そう考えると、空想も想像も、時には妄想も、
バランス良く構成出来れば、中々面白い知性の合理性が見いだせるかも知れませんね。


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