博士号取得を機に、やめようと決心したこと
自分にとって良い区切りなので、自分が今後どう過ごしていきたいか考えてみることにした。その結果として、今後の自分には役立たない、だから止めようと思ったのは、不安を探すことである。
思えば博論というか研究に取り組んでいる間、ずっと不安を探していたと感じる。データ収集はうまくいくか、論文投稿はうまくいくか、執筆はちゃんと終わるのか、口頭試問は大丈夫なのかetc 1つ終わっても次の不安へという感じで、常に不安を感じて生活してきた。もちろん、自分で意図的に不安を探そうと思って探しているわけではないが、自然と意識が不安へ向いていたのだろうと思う。
そして博論が終わってから感じたことも同じだった。今後書籍化できるのか、今後業績を出し続けることができるのか etc 結局次の不安へと意識が向いてしまっていたのである。
不安を探すことは私に役立つかというと、決して役立たない。不安を感じることで、この不安を取り除こうと努力するモチベーションにはなったが、不安を感じなくても、取り組むことはできるはずである。よって、不安のループに入り続け、不安をずっと感じでいくこと、もうやめようと思う。結局何を達成しても、次の不安は消えないわけで、不安に意識を向けていたら、キリがない。だから不安に意識を向けること、探すことはやめる。
今までの私は不安があることで、頑張れていた。でももう大丈夫。不安を感じなくても、私はやっていけるし、不安に意識を向けずにやっていってみたいと思う。不安さん、今までありがとう。
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