「世界の”普通”から離れてつくるニジェールの村から新たな循環を」ー ㈱bona 奥祐斉さん
これまで100か国以上を旅してきた奥さん。
その経験から、”旅”や”アフリカ”をテーマに、オンラインを通じて事業開発などを手掛ける会社を起業・経営する傍ら、複数のコミュニティにて300件以上のオンラインイベントを手掛けてきました。
所謂”国際協力”をテーマに人生を歩んできた奥さんですが、これまでの活動と、環境問題を意識するようになったきっかけ、また今後新たに取り組まれる予定のニジェールでの村づくりについて、お話しを伺いました。
憎きコロナが生み出した、新たな繋がり
- ご自身の会社を経営される傍ら、”となり”・”ジブンゴト大学”といったオンラインコミュニティを複数も手掛けていらっしゃると伺いましたが、それぞれどのような活動をされていますでしょうか?
株式会社bonaでは、海外の方に日本の魅力を伝えることを目的に、日本国内の観光をコーディネートしていました。コロナ前はオリンピック需要もあり、いけいけドンドンで、体がいくつあっても足りないという感じでしたね。ところが、コロナによって海外の方が全く来日できなくなると、催眠が解けたように仕事が無くなりました。もう、本当に無くなりました。
そこで何やろう・・ってなりましてね。とりあえず何かしなくてはと思い、仲間とオンラインイベントを始めました。特に計画もなく、やりたいイベントをやっていったら、気づけばこの1年で300件ほどオンラインイベントをやっていました。(笑)常連さんも出来初め、特にFB広告は打たずに1,000いいねが付くくらいのコミュニティになりました。それが”となり”というコミュニティです。
また、世界中に友だちをつくり、地球上で起こっている課題や問題を「ジブンゴト」として一緒に学び、一緒に考え、一緒に動くというコンセプトで立ち上げたのが”ジブンゴト大学”というオンラインコミュニティです。
イベントをやっていくと、悩みを抱えた人や、1人で食事をしている人、友達がいない人たちも集まってくれていることに気づき、そういう人たちの居場所になれているのではと気づきました。常連さんがイベント参加してなかったりすると、誰かれなしに「あれ?今日この人来てないね」と心配しあったりするんですよ。まるで一種の家族みたいだなぁと思いました。
”循環する”ということを意識し始めた
アフリカ&岡山県西粟倉村での生活
- 環境問題を意識したタイミングやきっかけはどこにあったのでしょうか?
元々、難民や紛争下で大変な思いをしてい方々の支援に携わりたいと思っていたため、青年海外協力隊の制度を利用して、2014年からアフリカのベナン共和国という国にいきました。現地の人々と関わって生活をするなかで、僕のこれまでの価値観を揺るがす様々な出来事があったのですが、その内の1つが村の人々の生き方でした。
彼らは、未来や将来を気にするという概念がなく、「今日をどう生きるか」という観点で生きています。その姿勢は、それまでの自分を生き方を全て否定されたような感覚に陥ったくらい、僕の根本的な価値観を揺るがしました。何かを教えにいったはずの僕の方が、現地の人々から学ぶことばかりだったんです。そうしたなかで、僕も将来や夢というものを手放し、今日をどう生きていくか?を最優先するという思考で、生きるようになりました。
ところが、アフリカ内を移動中に交通事故に巻き込まれました。緊急帰国となり、昨日まで土の壁に囲まれて寝ていたのに、目が覚めたら白いコンクリートの壁に囲まれたベッドで寝かされていました。完全に浦島太郎状態でしたね。結局、青年海外協力隊も辞めざるをえず、夢を持たないと決めた僕は、今日を全力で生きる意味を失い、何にしがみついていればよいのか分からなくなりました。かなり精神的に病みました。
そんなとき、三木さんという人が僕を救ってくれました。何か月間もメールや対面で、僕の話をただただ聞いてくれ、本当に救われました。その後、精神的に回復していくなかで、学生時代にインターンをしていた会社の社長さんに「東京に居続けるのは無理かも」と相談したことがご縁となり、岡山県西粟倉村のゲストハウスとバイオマスの宿、株式会社sonrakuで働くこととなりました。
そうして西粟倉村での生活が始まりました。会社では、早朝からバイオマス燃料を使ってボイラーでお湯を沸かしていたのですが、その作業を通じてアフリカでの生活を思い出しました。アフリカにいたときは、稗(ひえ)や粟などの草で作った籠や、土窯で焼いた壺など、全て自然に還るものに囲まれていました。日本に帰国してから、日本はコンクリートジャングルだなと思っていましたが、西粟倉村のような地域には循環する生活が残っていることを知り、そこから”循環”を意識するようになりました。それと同時に、なぜこの生活を継承しないのだろう、と考えるようになりました。
恩師と共にニジェールに新しい村を
- 現在は西粟倉から離れているとのことですが、今後はどのような活動をされる予定でしょうか?
先に紹介した三木さんという方が国際協力のNGOを立ち上げていて、ニジェールにて現地の方たちと共に新たな村をつくろう、ということをやり始めました。
ニジェールは、昔ながらのアフリカの生活や風景が残されている数少ない国なのです。しかし、国連が発表している開発指数では、194か国中194位。世界で最も貧しい国と言われています。なので、先進国から多くの開発援助のお金が流れているのですが、そうした”貨幣”が正しく管理されずに流入してきたことで、現地の人々の生活に予期せぬ変化が起きています。
これまで子供たちが、コミュニティの必要な作業として水汲みを手伝っていたのですが、親からお金をもらわなければ水汲みをしなくなった。また、ニジェールは日本と同じように”恥”の文化があり、食事や何かをみんなで分けようとしたとき、我先にと取るようなことをせず、周りに配慮しながら分けるといった国民性があるのですが、貨幣が入ったことで、自分のことだけを考えて生きられる少数の人たちが貨幣を奪い合う競争に参加するようになり、色々な場面で格差が生じ、衝突も起き始めています。
開発指数的には貧困かもしれません。確かに若年層の死亡率は先進国と比べて高いです。ですが、僕の中ではニジェールの人々は全く貧しくなく、そこにあるモノを最大限循環・活用して、とても豊かな生活をしていますし、先進国とニジェールとでは死生観も異なります。主要な宗教がイスラム教なのですが、その命が短くても、長くても、アッラーに与えられた命を全うした、と考えていて、死を恐れる対象としていません。救うべき命はあると思いますが、開発指数が最下位だから、貧困だからといって、世界の”普通”をはめ込む必要は必ずしもないのではないかと思います。少なくとも、ニジェールは、世界の”普通”に飲み込まれ始めたことで、誠実に生きようとする村の人々が、力を持ったモノや流れに心も体も征服されつつあります。なので、そうした村の人々たちが、力を持つモノや流れから物理的に距離を置き、本当に望む生き方ができるように、新しく村をつくろう、ということになったのです。発案者である三木さんから、この活動をサポートして欲しいと誘ってもらったため、今度、ニジェールへ渡航し、現地を色々と見て回ろうと思っています。
他方で、ニジェールの新しい村作りには、土地を買うお金や深井戸掘削などでどうしても200~300万円のお金が必要になってくることがわかりました。そこで、これまで培ってきたコミュニティで僕も何か力になれるかもしれないと思い、三木さんをスピーカーとして呼び、「ジブンゴト大学ニジェール編 アフリカで死を受け入れることに長けた人。命を救えなかったことに苦しむ人」というオンラインイベントを実施しました。
イベントには150人以上が集まってくれ、お志という形で支援金を募ったところ、72万円ものお金が集まりました。僕にとってこのイベントは、絶対に繋がることのない、と思っていたこれまでの様々な点と点が、画面上ですが線で結ばれた瞬間でした。憎しきコロナが生んでくれた、有難い産物です。これまで300件近くもオンラインイベントを主催してきた魂が詰まった会になったようにも思います。
交通事故によって国際協力の活動が頓挫した僕にとっては、もう1回国際協力に向き合える、本当に奇跡みたいなチャンスです。
フラットに、ライトに対話し、環境問題をジブンゴトに
- 今後はどういう風に環境問題に向き合っていくことになりそうでしょうか?
「地球温暖化」や「気候変動」に対して危機感を持っている人は、ここ数年で確実に増えたかと思います。それでもマイボトルやマイバックを持ち歩いているか?と聞かれると、全員がそうではないと感じています。環境問題って意識はしているけど、それこそジブンゴトにはなっていない人が多いのではないかと思っています。
だからこそ、みんなで考え、話し合う「場」が重要で、そこから人は変わっていくのではないかと考えています。
特に、フラット、ライトに対話できる場所、解決する方法を想像する場所が欠如しているのではと感じますね。「とりあえず、属性を越えてみんな一旦集まろっ!集まって対話しよう」って思います。
1人の喜びや苦しみを、共に喜び、共に苦しむような、家族みたいなイベントやコミュニティを担っていくなかで、フラットに、ライトに環境問題について対話をし、みんながハッピーになるような瞬間を創っていきたいと思っています。
取材を終えて
難民支援を目指して訪れたベナンの地。ご縁あって訪れた岡山県西粟倉村。そして、新たな挑戦の地、ニジェールへと旅立つ奥さん。
決して環境問題を軸に人生を歩まれてきたわけではない奥さんですが、アフリカのローカルと日本のローカルで気づいた”循環”の在り様は、今まさに資本主義経済により追いやられ、淘汰されていっている大切な何かなのかもしれません。貧困問題や環境問題を引き起こしてきた世界の”普通”から離れ、村の人々の望む生き方をもとに新しくつくるニジェールの村は、今まさに世界が求め探している、新しい住民主体の持続可能なまちの在り方そのものなのかもしれません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?