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世界の正位置

この二年間のことを思い返しては涙が止まらなくなる。簡単に拭い去ることのできない、錆のようにこびりついたこの悲しみは、正攻法では落とせない。ずっとわたしの心にある錆。見ないふりならいくらでもできる。だからそうしてきた。でも目につく瞬間は必ず訪れて、わたしはその度に泣いてきた。もう疲れた。何度繰り返せばいいのか。

浮気を上手に許せなかったことを少しだけ後悔した。だけど、二年前に戻れたとしても、あの悲しみを、あの苦しみを、なかったことにするような人間になんてならなくていい。

それでも離婚はしたくないとみっともなく縋り続けていた。2019年は、人生で最も苦しい一年だったように思う。「おはよう」「おやすみ」や「いってらっしゃい」「おかえりなさい」を無視され続けるのが悲しかった。邪険に扱われたり、蔑ろにされるのが悲しかった。最後までダブルベッドで一緒に寝ていたけれど、掛け布団を独り占めされるので、わたしはダウンを着て薄い毛布に包まって寝ることもあった。実家に帰りたいと言うと何故か反対された。見兼ねた母が迎えに来たこともあったが、わたしはそこから逃げ出す元気さえ既になかった。義母は最後までわたしに「頑張って」と言い続けた。

なんの相談もなく「今日出すから」と記入済みの離婚届を差し出されたのが、2019年の暮れだった。何も考えられず、言われるがままに署名と捺印をし、役所に提出した。そうしてわたしは大晦日に実家に戻って2020年をスタートさせた。

そんな今年のはじめに、わたしはめずらしく新年の抱負について言及した。

わたしにとって、言葉を紡いでゆくことが
たぶん何よりも「優しくなれる時間」だから
去年よりもたくさん"書くこと"に集中したい

傷つききったわたしは、それでも「優しくなれる時間」に満たされたかった。傷つきすぎたからかも知れない。人生のできるだけ長い時間、優しい気持ちでいたかった。誰かを恨んだり、憎んだり、そういう気持ちは苦しかったから。

だけど、優しい気持ちの矛先が、離婚してもなお元夫にしか向かない時期があった。それはそれで、とても辛かった。搾取されるのだ。その優しさを。搾取されてもなお相手を労うわたしを見て、周りは「優しすぎるよ」と泣いた。わたしはそれに傷ついた。わたしはわたしのことを大切に思ってくれる人たちをも泣かせている。

寝ても覚めてもわたしはひとりだ。人類のために祈ることができるほど大層な人間ではない。誰彼構わず優しくいられるわけでもない。かと言って自分を甘やかすのも苦手だ。「自分をいちばん大切にしてね」と再三言われたけれど、それが未だによくわからない。

たったひとりでいい。その人のために祈りたい。その人の幸せがわたしの幸せになる人。その人を大切にすることが悲しいことではなく、間接的に「自分をいちばん大切にする」のと同義になるような。そんな人に、そう遠くない未来出会える気がする。わたしの最終結果は「世界の正位置」だから。

大丈夫、ぜんぶうまくいくよ。

あとがき

これは2020年10月13日に書いた記事です。下書きにいれたままになっていました。その数日前にフォロワーのおねえさんにタロット占いをしてもらい、その結果に胸がいっぱいになり一気に書き上げた記憶があります。

公開できずにいたのは、わたしが「好きな人がいる人を好きでいる」状態を続けるべきだと考えていたからのように思います。当時、その人はわたしの執筆意欲を掻き立てました。だけど、頭のどこかで本当は彼を好きではないかもしれないことを、わたしはとっくに気がついていて。だから、タロットを見てもらうときには、恋愛運ではなく明確にその人のことを占ってほしいとお願いをしました。5月に初めて占ってもらったとき、本当に当たるのかと少しの疑念を抱きながらも、タロットはわたしの救いになるものだと知ったからです(当たる当たらないではなく)

人生二度目のタロット結果はざっくりと以下の通りでした。
・わたし自身が彼に対して疑念を抱いていて何も期待をしていない
・彼がダメならとっとと次に行こうという確固たる意志がある
・何やら新しい風が吹く(他の人と出会うかも?)
・最終的にそのとき好きな人と幸せな結末を迎えそう

最終結果が「世界の正位置」であることは、相手が彼なのか、あるいは新しく出会う誰かなのか、それはさておき、上述の通り「最終的にそのとき好きな人と幸せな結末を迎えそう」だということを示唆しているそうです。それを聞いてわたしは確信しました。その相手はまだ見ぬ誰かなのだと。そしてその人となら、自分が今まで知りえなかった「自分を犠牲にせずに相手を大切にすること」ができるような気がしました。

その数日後、好きな人(好きかもしれない人/好きだと思っていたかった人)に会ったとき、自分自身が彼のことをまったく好きだと思えない状態にひどく戸惑いました。会話が弾まなすぎて、何もかもが苦痛でした。

それ以来、もう彼とは会っていません。好きなのかなあ、まあ好きじゃないんだろうなあ、でも好きなままにしておいた方が筆が進みそうだなあ、とか、変なことを考えていたように思います。結果的に、最後に会ってからも何も書けず、彼に関して記事にできたのはたったの3本だけでした。ただ、状況に応じて揺れていただけで、彼のことを本当に好きだった瞬間は絶対にあったと思っています。

「まだ見ぬ誰か」に出会うのは、その1週間後です。今、わたしは当時の予感通り、お互いの幸せを心から願える人と楽しく暮らしています。朝起きてすぐにその人のことを想い、離れていても寂しくならず、たくさん笑って、たくさんふたりの未来の話をします。これから積み重ねていく様々な事柄、彩ってゆく思い出に心を弾ませ、どちらともなく「愛しています」と伝えて眠る、そんな日々。

それが、まさにわたしにとっての「世界の正位置」でした。幸せな結末。完璧な調和。そしてこれから始まるふたりの人生のはじまり。ありがとう、わたしに起きた すべてのことに。

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