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私の職歴。その2

毎日暑いですね。

こちらの記事に目を留めてくださり、
ありがとうございます。



さて、今日は、
私の職歴について、昨日のお話の続きです。

(昨日のお話はこちら↓です。)


市役所の一般事務職として、
苦痛を感じながらも、
周りの方達に助けられ、
何とか仕事を続けていました。

その間に、
結婚、出産も経験しました。

家庭を持つまでは、時間的にも体力的にも無理がきいたのですが、
幼い子を保育園に預けながらの勤務は、なかなかのハードワークでした。

仕事が遅いから、
残業も当たり前で、
幼な子がいるというのに
仕事を優先させてしまい、
夫や義父母にも、ずいぶん迷惑をかけました。

仕事内容も、
企画や予算、要綱を作ったり、伝票処理に、予算資料、実績…
苦手なことが多すぎて、
追われるばかりで進まず…
その間にもどんどん次の仕事がたまってくる。 

家に帰れば、家事に子供の相手。

体力的にも、精神的にもだんだんと、
追い詰められていく
感じがしました。

“ これはもうダメだ。このままだったら、身体も心も壊れてしまう。”

そう思いました。


それなのに、辞める事が怖かったんです。


苦しいことから逃げるのはダメな奴だと
思ってしまって…
努力が足りないからこうなるんだ…
と思ってしまって…。


人の評価を得ることでしか、がんばることでしか、自分の価値を認めてあげられなかった当時の私には、
辞めるという選択は、逃げでしかなかったんです。

(今思うと、あの時の自分に
『良く頑張ったじゃん!』ってGOODを出してあげたいです。)


私は、何とか辞めなくていい方法はないかと考えました。

“ 市の管轄の診療所に異動させてもらえたら、資格を活かして働ける可能性があるんじゃないか。 ”

“ 保育士の資格があれば、子どもの健診など、乳幼児関係の現場に異動させてもらえるんじゃないか。”

独学で2年かけて、保育士の資格も
取得しました。
(1年目は学科試験を1教科落としてしまい、一発合格を逃し、翌年、2回目の試験で合格。)

自分なりに色々と考えて、
上司や人事担当の方にも相談しましたが、
人事にも事情があるようで、
異動は叶わず、
この時にようやく、
辞める決心をしました。

20年の月日が経っていました。


次を決めることなく退職した私は、
“ 次の仕事は、理学療法士として、現場で働こう。私は、人と接することができる現場の仕事のほうが向いている。”

そう考えていました。

(今思うとそれも、半分違ってて、半分合ってるという感じなのですが…。)


さて就職をどうしようかな…と思っていたところ、
偶然、とある福祉関係の職場から、声をかけてもらい、
理学療法士として、パートで働くことになります。
(これが3つ目の職場です。)

市役所を退職してから、約1ヶ月後のことでした。

パート勤務なので、収入は減りましたが、定時には帰れるし、
仕事内容も嫌ではなかったし
(ストレスをあまり感じないというだけで、楽しいとか、熱中できるという感じではなかったですが。)、
家庭と両立するには
ありがたい環境でした。


この続きは、また明日。

最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

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