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人生の後ろめたさ

わたしの理想な人生が近くにあった。別のひとが歩んでいる。
あぁ輝いて眩しい。

例えば。
幼い頃から常に一緒な友だちがいて、
高校では中心的存在で周りからの評価がよく
退屈とは無縁な、土日は毎週友だちと一緒に過ごしたり

大学では濃縮した時間を探し、
新しい出会いに恵まれ、
目に見える資格もバンバン取得して
就職で一年都会住みを経験。
好きな趣味や好きな人生観に触れて。

20代、バンドに海外旅行に
毎週毎日充実した毎日。
金融投資も忘れず、セミナーも参加

自己研鑽も忘れず、資格も取って。
キャリアチェンジでWebエンジニアに見事転身
時給も安定性も増して彼氏も出来て
仕事にプライベートに恋愛に

25歳で一年ほどの海外留学へ。
3ヶ月英語を猛勉強して、就労ビザで実践。
苦手なバイト先の店主とも和解して半年でお別れ、
現地で知り合った仲間とアメリカ旅行。
途中で転々と働き場を探しながら、新しい環境新しい経験を積む

…なーんて、そんな人生とか。
なんかキラキラして見えない?

あー、こういう人生をわたしも生きたかった。
わたしはもう既に30を過ぎて、
これまで大きな時間を無駄に過ごしてきた。

「社会人あるべき」に追われて、
見えないレールをただ歩いてきただけ。

人生後ろめたい。

気づいたいまやろうとしてもできない、
わんぱくさ。
身体も心もついてこない、これが手遅れってこと?

ひとの人生を羨むと、
出会った誰かに言われること
「それってあなたの人生に関係ある?」
「あなたはこれまで、最適な選択をしてきたんでしょ?」
「いまが一番若いんだから、やればできる」
ってね。

他人が何してるかなんて関係ないはずなのに、
わかっていても
根底にある天邪鬼と心から羨ましい気持ちと
これまで無駄に探してしまった時間の消費による後悔

「わたしもあんな人生を歩めたらいいのに」
「そんな言ったってポテンシャル的にできないやん」

でも、あー、わたしの人生もあんな感じであったら良かったのに…

それは他人の人生。わかっている、けど。

わたしの人生とは違うとわかっていて、
関係ないと分かってて、仮に周りに問われてそう答えつつ、
でもやっぱり心底で惹かれてるその人生や経験値に
どう対抗したらいいのかわからない
「いいな、いいなー。
一方でわたしは。」
言わないけと、いつも心が呟く。なんか苦しくなる。

「その人の人生があなたに何か影響与えてるの?」
ええ、えぇ、現時点で与えてる。
こうしてわたしを悩ませて、何も進められないようにしてる。
ここでずっと足踏みして。

どうしたらわたしの人生も咲かせられるのか。
20代はわんぱくに
30代は艶やかに
40代はしっとり艶やかな感じとか、素敵じゃない?

20代もっとわんぱくでありたかったー
わたしの人生で魅了する姿になりたいなぁ。


こうして思考や文字をこうしてこねくり回しても、
行動量がないと説得力がない…わかっていても。
「行動量が足りないのよ」って指摘はぐさっとくる笑

でも行動できない
体が動かない
がんばれない
心も身体もバテてる、ずっと。

どこかでセーフティネットを持ってないと不安
だから冒険ができない

冒険してるようでしてない
自覚はある
そんな自分がいやなんだけど、…でも。

自分より若い子たちが色々やってる
自分には出来なかったことを

輝いて見える人生
わたしもそれが出来ていたら。

わたしは同じ時間で何をやっていたんだろうと
後ろめたさが出る。

出口はないものか、この苦しさに。

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