アナと海老の背ワタ
幾分か潮の引いた午前四時に出くわす。私はまだ大陸のわずかにしか足を踏み入れておらず、人間は皆、聞いたことのない賛美歌を歌いながらここにきたわけだ。ちくしょう。タイナカサチと喋って、ふとうとうとする午前1時だというのに、酒を飲んでは外国の方にお辞儀をして、リサラーソンのイラストのような表情になって、クツワムシ食べてるのは呼吸をする。
いま、まさに逃げようとしている自分の手にはヨーヨーがあって、かわいらしい。ひどく可愛らしくやせ細っていくそれを観ながら、私は狼狽しながら、もう呼吸も浅くなって、時間が過ぎていくのか、過ぎていかぬのかも分からなくなって、みなが珊瑚礁に見える。歌舞伎町をうろうろする集団が珊瑚礁みたく、塊になってほころびて、理由になって、海に帰っていく。残されたいのかもしれない。見えんものをのぞいていたら、きっとそれはマルチーズの尻みたいに尖って恐ろしくなってしまう。どうしようもないことは、知らんぷりをしてしまえ。諦める。それは明らめるであり、諦めよう、それは明らかにしようという前向きな風。なんだっていいのだ。誰だっていいのだ。ずっとよるでいいのだ。と台風に吹かれながら、痰を吐いて思う。がしかし、朝が来なければ諦められない。朝が来ればぜんぶぜんぶ明らかになる。
宇治の山中の石段を登れば、きっとあの禅寺が待ってるだろう。苔のむした柱にはダンゴムシがちよちよと歩いているだろう。何度だって騙されるのは、その幻のようなもので、ああほら私を呼ぶ声が交差点の向こうから。こんなにも繁華街にいて、こんなにも通る高い声は、あまりないとも思っている。酒を飲む。酒を飲んで、朝になって氷をつまんで、きっとアスファルトに落としてしまえばいい。灼熱なので、じわっと溶けるだろう。溶けてしまえばなにが凍っていたのかも明らかになる。分かるはずだ。
今晩は、今朝は個展の話をしたい。新宿の奥にある画廊でやっていた個展の話を。あの日を何度も繰り返して、苔にやられた禅寺の古さを確かめている。引け目なんて、そんな。微塵も感じなくていい。そのままで話してほしい。何者にもならなくなくていい。何者にもならずに、きっとそのままで会って話してほしい。その時間に切っ先があって、一閃。なんとなくが晴れて話したいことはたくさんあるが、話したくなければ、会いたくなければ、お月さまを抱えて海原に飛び込んでしまう。お天道さまを抱えて森を焼いてしまう。どうか、そのままで、正直に伝えてほしい。あ、ほらやっと来たよ。なんだそのローテンションは。楽屋のミゲルくんか。
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