マガジンのカバー画像

ジュウ・ショのサブカルマンガマガジン

54
マンガについてサブカルチャー的な視点から紹介・解説。 学術書とか解説本みたいに小難しくなく、 極めてやさしく、おもしろく、深ーく書きまーす。
運営しているクリエイター

#マンガ感想文

大友克洋の「童夢とAKIRAより前」の出世作について熱く語らせてくれ

「2022年 大友克洋全集刊行」 渋谷駅ハチ公口改札でバカでかポスターを見て、ちょい鳥肌が立った。かっけェ……。なんだこのロゴ。すげぇいいじゃん。買うしかないじゃん。 言わずもがな大友克洋は完全にレジェンドだ。特に私たちサブカルゆとり世代からしたら「AKIRA」は、もはや聖書である。アーメン。 私の体感だが、文化系サブカル大学生の家に、AKIRAがある率は80%超えてる。まじで文科省のほうで、文化系サークルに属している人に向けて統計とってほしい。AKIRAは浅野いにおの

なぜ「スポ根漫画」は滅びた? 1960年代〜70年代の価値観の変化を紐とく

マンガは世につれ、世はマンガにつれ……。マンガというのは、それぞれの時代で特有のブームが起こる。で、マンガのおもしろいのは、小説や映画といったエンタメ創作物に比べて「社会トレンド」とリンクしやすいのである。めちゃくちゃタイムリーなメディアなのだ。 なぜか。シンプルに「1本の話を作る時間が短いから」だ。例えば映画、長編小説、音楽、演劇といった総合芸術は、一作をつくるのに早くても数カ月、長いと数年かかる。最近は技術の発達、ナレッジの蓄積もあって、高速化している気がするが、それで

「綺麗な顔してるだろ。」あのタッチの名シーンは、なぜマンガ史に名を刻んだのか

「綺麗な顔してるだろ。うそみたいだろ。死んでるんだぜ。それで……」 もうこれは日本マンガ史に残る名ゼリフだ。「クリリンのことかー!」とか「諦めたらそこで試合終了ですよ」とかに並ぶほどのモンスター級の名シーンである。 もちろん言わずもがな、あだち充のマンガ『タッチ』のいち場面である。初出は1981年。私は完全に世代じゃない。 ただ、タッチは少年時代にCATVかレンタルDVDかのアニメで観ていた記憶がある。南が暗い病室に入っていく場面では「え……」と思った。「嘘やん、カッち

天才・田村由美のマンガの魅力についてオタクに熱く語らせてくれ

20年代前半のころに「禅」に関する本を書いていたんです。ブックライターとしては初めての仕事で、6時間くらい禅寺で取材をして、文字起こしして300ページくらいにまとめるっていう仕事でした。 当時は私自身が仕事やら人間関係やらにものすごく悩んでいた暗黒期で……。もうなんか「全裸で下向いて大殺界を歩き回る」みたいな。しかも出口の鍵がないんですよね。そんなときに「禅」に触れたわけですから、そりゃもうむちゃくちゃ食らった。で、だんだん「人の生き方」について深ぼって考えるようになる。

ヤンキーマンガ(不良マンガ)の歴史|1960〜2020年代までのマンガを「ヤンキー像」とともに振り返る

「私の中学には窓が1つもなかった。理由は単純で「割られるから」である。冬休みに入るころに生物のおじいちゃん先生が、手を擦りながら「あぁ寒い……」とこぼしたのを見て「無理すな。もう防弾ガラスでもつけろ」と思ったのをめちゃめちゃ覚えている。 福岡市博多区の我が学び舎は、地元でも有名なヤンキー校で、出席率が異様に低く、私服率が異様に高かった。バイクに2人乗りでやってくる輩もいれば、万引きした文房具などを学校で売り捌いている利益率100%の商売をしてる奴もいた。卒業式には警察が張っ

戦時中のマンガ・アニメとは|のらくろ、ディズニー、桃太郎などを通して平和を知る

私は「はじめてのおつかい」で泣けない。迷子になって、スヌーピーのアップリケがついたきんちゃくを地面に置いて「おかあさん‥‥」となってる子を見て「ちょ、おいおいおいおい無理すな無理すな。ちょいちょい、これディレクターが助けてあげんと……」と焦ってしまう。 ただ、凶悪な事件があったとき、または暴力的な出来事が起きたときに、なぜか高確率で「はじめてのおつかい」を思い出して泣きそうになる。 真顔のニュースキャスター観ながら、頭のなかで「ドーレミファーソーラシドー♪」が鳴り始め「あ

さいとう・たかをとは|マンガ界にもたらした「劇画」と「ハリウッド式の制作体制」について紹介

2021年9月24日、さいとう・たかを先生が亡くなった。誰か有名人が亡くなって「あぁ、ちょっと悲しいな」ってのは久しぶりでした。 それは彼がマンガ界にもたらした偉業を存じているからで、水木しげる先生や赤塚不二夫先生が亡くなったときにも感じたが「日本の文化を作り上げた人がまた1人……」という、なんともふんわりした寂しさだった。 大学生のころ「アフリカ!」でおなじみ「アストロ球団」から劇画にハマった時期があった。ぜひ読んでほしいよ「アフリカ」。マジで「黒子のバスケ」が霞むくら

佐々木マキとは|手塚に狂人と、村上に天才と呼ばれた前衛漫画家

20歳のころ、旅行先の岡山・倉敷市で古本屋に入った。そこで手に取ったのが佐々木マキ作品の集成「うみべのまち」だった。「なんかどっかで見たことある絵やな」と思って、手に取ったのを覚えている。後から「あ〜村上春樹の『羊男のクリスマス』だわ」と気づいたんですが、当時は思い出せなかったんです。 なかを読んで、あまりの衝撃にひっくり返った。開脚後転2回かました後に華麗にロンダートを決めました。まさに「マンガ」に対する概念が変わった瞬間で「あ、こういうマンガがあってもいいんだ」と思った

「うる星やつらが萌えの元祖」といわれる理由を語らせてくれ

「高橋留美子の『うる星やつら』が、萌えの元祖らしい」と聞いたとき、正直ピンとこなかった。「うる星やつら」の発表は1978〜1987年。しかしそれ以前にもいわゆる「萌えキャラ」は生まれている。 例えば日本初の少女マンガ・リボンの騎士は1953年に出ている。主人公のサファイアは両性具有であるがゆえに、かなりツンデレ。しかも女性兵士というコスプレ感も、今の萌えに近い。 セクシー系ドタバタコメディでは、1968年の永井豪「ハレンチ学園」がすでに存在し、PTAのおばさま方をめちゃめ

24年組とは|少女マンガの歴史を塗り替えた天才女性漫画家たち

少女マンガが、長年にわたって日本の少女たちの人生観、恋愛観に大きな影響を与えているのは間違いない。ちゃお、りぼん、なかよしに育てられ、なんとなく大人の世界に触れて成長していく。うっかりそのまんま大人になって、いつの間にか黒歴史にまみれた人もいるだろう。我々はあのキラッキラで巨大なお目目から大人の世界を学び、憧れを抱いてきた。 そんな少女向けのストーリーコミックは1953年、手塚治虫の「リボンの騎士」から始まる。それからトキワ荘の紅一点、水野英子が、現代少女マンガに通ずる、ロ

AKIRAとは|漫画・アニメ映画の両方について「何がすごいのか」を徹底解説

「ジャパン・カルチャー」といえば、今やフジヤマ、サムライ、スモウレスラーよりも先に「アニメ」「マンガ」がくる。 しかしもともとは、アニメもマンガも海外で生まれたメディアである。以下の記事でアニメやマンガの起こりを書いています。 ただ、今やマンガ・アニメといえば日本を代表するカルチャーであり、最近は「日本アニメを楽しむ海外オタク」の動画をYouTubeで観ることも増えた。 では、なぜ日本のアニメ文化がこんなにも海外でヒットしたのか……。その立役者は間違いなく「AKIRA」

トキワ荘とは|天才漫画家が一緒に暮らした伝説のアパートについて

日本マンガの基盤は、東京都豊島区椎名町のあるアパートで作られた。それがトキワ荘だ。手塚治虫が居住を始めてから、藤子不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、水野英子、寺田ヒロオなど、とんでもないメンツが手塚に憧れて入居。切磋琢磨しながら、作品を作っていた。 トキワ荘はまさに「マンガ家の梁山泊」としていち時代を築いた聖地中の聖地である。 日本のマンガカルチャーはまさにこの場所で生まれた。こんなスターたちが、この一箇所に集まってマンガを描いていたのは信じられない。レアル・マドリードば

しあわせアフロ田中9巻、10巻から学ぶ「好きを仕事にすること」の真実

「マンガ家を描いたマンガ」というのは、めちゃめちゃたくさんある。「ブラックジャック創世秘話」「薔薇はシュラバで生まれる」などの、コミックエッセイが基本だろう。 ただし、この前紹介した「OPUS」をはじめ「かくしごと」など、あくまでストーリーのなかにマンガ家が出てくるマンガもめっちゃある。 ストーリー漫画において、作中にマンガ家を出すと、どうしてもメタが絡まってくるものだ。作者が意図していなくても、読者としては「コレ作者自身のこと描いてんのかな」という目線で見てしまう。なの

アニメ・美少女戦士セーラームーンはここがすごい! 幻の原作や変身シーンなどを解説

「月に代わってお仕置きよ!」 1990年代当時を生きた方はもちろん、現代に至るまであらゆる女の子を魅了してきた決め台詞だ。 「月に代わって」ってヤバいですよね。月の仕事を代行してるわけだ。とんでもないスケール感のお仕置きである。私が敵だったら「まず死は免れない」と悟る。スライディング土下座決めて詫びる。 このセリフで有名な作品はもちろん「美少女戦士セーラームーン」だ。日本国民なら誰もが知っている超名作だろう。 「セーラームーン」は、まさにアニメの歴史を塗り替えた作品と