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時計の涙

寂れた海辺の町の大きな広場に一本の大きな時計が立っていました。
昔からこの場所に立っている時計で、強い海風にも負けずにどんなときでもまっすぐに立ち、そして、正午になると町中に響き渡るくらい大きくて澄んだ美しい鐘の音を響かせることができる立派な時計でした。
時計の前には毎日たくさんの人が集まってきます。
待ち合わせをする人、広場で遊ぶ親子、たくさんの子供たちに、観光客、そして美しい海を前にプロポーズする人もいました。時計はどんな人にも、昔から変わらないきっちりとした歩みで時を刻み、どんな時も誰にでも同じように寄り添い続けていました。

「あっもうこんな時間だからおうちに帰ろうね」
「もうこんな時間か、そろそろ行こうか」

みなが時計を見上げて楽しそうに話しながら帰っていきます。時計は、みんなの役に立っていることが誇らしく思っています。
だから、一分の狂いもなく正しい時を刻み、みなに知らせなければいけないと、強く思っていました。

それから長い年月が経ち、海辺の町も少し寂れたり、新しくなったりと忙しなく動いてきました。
大きな時計は、広場に変わらず立っていました。
時計は相も変わらずにまっすぐに立ち、昔と変わらない歩みで時を刻んでいましたが、どうにも最近まっすぐに立ち続けているのがつらくなってきました。
長い年月で、顔は汚れ、立派な脚はさび付き、針を動かすための手もギシギシと絡まるようになってきました。時計は焦りました。
時計のまわりには、昔と変わらずたくさんの人々が訪れています。
時を止めるわけにはいかないと、時計は毎日必死でした。
そんな時計の必死さはもちろん誰にも届きません。
誰も気づくことはありません。

時計は、なんだか針に大きな蜘蛛の巣でもはりついてしまっているかのような、違和感を覚えるようになりました。
夜の海の底のような見えない暗闇が奥底からじわじわ上がってきています。これがなんなのか、どうすればよいのか、時計は考えました。
近くにいた海鳥に尋ねようともしましたが、言葉にすることができず、また何か言われるのも恐ろしくて尋ねることができませんでした。

そんなある日のことです。
その日の朝も、数日続いた嵐がまだ粘り強く海辺の町に居座り、冷たい北風をビュンビュンビュンビュン吹き飛ばしていました。
嵐は海にもそして大きな時計にも容赦なくぶつかります。
さび付いた足に氷のような風がたまり、もう立っているのがやっとでした。
針はただガチガチと震えるように揺れるだけで、まったく時を刻むことができません。
寒さと、焦りと、ズキズキと痛むものに耐え切れずに、あたりをきょろきょろ見渡します。
 誰か・・
  誰か・・・。
しかし、この寒さの中で時計の様子に気が付く人は誰もいません。
当たり前のように動いていた時計です。
この時計が止まることなど誰も考えすらしていませんでした。

時計は倒れこむように鐘を思いきり鳴らしました。
美しいはずの鐘の音が、刺さるようにするどい音で鳴り響きます
。その鐘の音に驚き次々と時計の下には人が集まってきました。

「どうしたんだいったい。」
「この寒いのにこんなひどい音をたてて、なんだっていうんだ!」

口々に渋い口調で話す声が時計に刺さります。
時計は、何を自分はしているんだと、自分を壊したくなりました。
それでも、鐘を鳴らすことを止めることはできません。
もうわけがわからなくなりました。
その時、この町に越してきたばかりの若い時計職人が近くにやってきました。

「こいつは、とても立派な時計だ。こんなにボロボロになっているのに、それでも立ち続けていたんだね。ろくにメンテナンスもしてやらずに、申し訳ないことをした。今直してやるから、まずはゆっくり休むんだ。」

時計は目の前が真っ暗になりやっと鐘の鳴を止めることができました。
時計職人は、町の人たちに手伝ってもらい、時計をすっぽりと大きな布で覆いかぶせて修理を始めました。
毎日少しずつ錆を落とし、汚れを落とし、丁寧に細かな部品を見ていきます。
町の人たちも通りがかるたびに、布がかぶせられて見えなくなった時計を見上げます。

「時計が見えなくなると、時間がわからなくて不便ね」
「なんだかこの広場がさみしい感じになるわね」
「時計さん早く良くなってね」

時計はぼんやりと遠くから聞こえるその声に耳をすませ、おだやかな気持ちで眠りました。

ある晴れた日のことです。
町の人たちも時計職人も、大勢の人が時計の前に集まってきました。
広場はちょっとした屋台も出てお祭りのような浮足立った雰囲気です。
みんなが見上げる中、長らく時計を覆っていた布が外されました。
時計も、身をもって調子がよくなるのを感じていましたので、今日のこの時を心待ちにしていました。
すっかり美しくさらに立派になった時計に自然と拍手がおこりました。

時計は、昔と同じ海と人々の顔を眺め、静かに鐘を鳴らしました。

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