振袖しゃしん__200208_0005

一年遅れで、成人の振り袖写真を撮った話。

昨日、成人の写真を撮りにいきました。
といっても、私は現在21歳です。
20歳の成人の時、私は成人式と同窓会に参加しなかったので、一年遅れです。
バイトで貯めたお金で、一人で、自分でスタジオに行って、撮ってもらいました。

成人の日、私はバイトをしていました。
式には参加していませんし、地元にも帰りませんでした。
行くのが、怖かったのです。

きっと私と同い年のみんなは、充実した生活を送って、キラキラまぶしいだろう。
絵に描いたような、わくわくした大学生活を送ってるかもしれない。
それに比べて私は、うつを悪化させ、休学生活。
友達も少なくて、毎日生きるだけで必死で、朝起きて夜寝るだけでしんどくて。
「大学はどう?」なんて聞かれたらなんて答えたらいいんだろう。
こんな私じゃ、友達にも先生にも会えない。

それに、私は、化粧や自分を着飾る資格がない。
私みたいな人間をいくら着飾ってもきれいになるわけがない。

休学で生活費も出してもらってるくせに、その上親に振り袖代なんか頼めるわけがない。

親に必要以上に会いたくない。


いろいろな言い訳を作って、2019年の1月13日、バイトのシフトを入れました。
大学の同い年の友達は、みんな地元に帰りました。
バイト先にも、もちろん同い年の子はいません。
その日は、なるべく気にしないように、淡々と仕事をしました。

成人式に行かなかったことは、私のこころの中にちくちくと刺さって消えませんでした。
みんなの話を聞いたり、
写真を見せてもらうたびに、
羨ましい自分を、見ないふりしました。


「成人式、同窓会に行きたい」

というよりも、

「成人式、同窓会に行きたいと思えるような人間関係と思い出を地元で築きたかった」

というのが素直な感想でした。

また、きれいな着物を着る友人をみて、

成人の私を残せばよかった

と、いつからか思うようになりました。

結局21歳になってしまったのですが、また成人の日が近づいてくる12月、写真を撮らなかった後悔が、ちくちくと刺さってきました。

12月末、私は、何かに駆られたように、ネットで後撮りをしてくれるスタジオを探し、勢いで電話しました。
そのスタジオはかなり丁寧に対応してくださり、ようやく私は、一年遅れで写真を撮りました。
一年遅れだと伝えたのですが、撮影当日、
「成人おめでとう きりしまさん」
と、スタッフさんは立て看板を書いてくださっていて、すごくくすぐったい気持ちになりました。

撮影は、とても充実した時間となりました。
ヘアメイクから楽しくて、自分で気に入った振り袖を着て、素敵に撮ってくださいました。
写真が嫌いだった自分が、初めて、着飾った自分の写真を見て
「きれいだ」
と思えたのです。

私はもともと、自分の顔が嫌いで、メイクや服を着ることに積極的じゃありませんでした。
自分みたいな醜い人間、化粧なんかしても似合わない…
でも見られるから見栄えは良くしなきゃ…
おしゃれは、人から見られるからしなきゃいけないもの、という認識でした。
自分が写っている写真はすごく嫌いでした。

でも、少しずつ、こころが回復していくうちに、おしゃれに対する考えが変わっていったのです。
人のため、というよりも、自分のためにおしゃれをしたい。
こんな服着てみてもいいかな。
少し眉を整えてみようかな。
きれいなリップをつけてみたいな。

おしゃれは、誰のためでもない、自分のためにするものだと、思えるようになったのだと思います。
完璧なメイクではないけど、今はすごく、お化粧をするのが好きです。
服を選ぶことも好きだし、自分に似合う色を探すようになりました。
私は前よりも、自分のことが好きになってるのかもしれない、と思えました。

自分のために、自分をきれいにすること。
それはきっと、自分を大切にすること。

そう思えた、大事な1日でした。

毎日のコーヒー代に。