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「真性ホームスクーラー」宣言

「学校なんてダサくて行けない」と思っていました。
すみません、カミングアウトします。
私、「真性ホームスクーラー」です!
娘は楽しく学校に行っていません。
もはやはっきりと、不登校ではないです。

*ホームスクーリングについては今回は書きません。どちらかというと「アンスクーリング」に近いホームスクーラーだと思っています。現場にいない人にはなんのこっちゃですよね、すみません。要は、学校に行かないで、生活や子どもの興味に重点を置いた子どもの育ち&学びのあり方で、やり方はさまざま。今はホームスクーラーで発信している人も多いので、気になったら調べてみてくださいね。

で、「学校ダサい」ですが、私も少しおとなになり、じょじょにそれは安易に口に出すべきでないと思うようになっていました。教育に真摯に携わる知人もいますしね。
しかし古山明男さんのこの本を読んで、やはり私が感じていたことはそれほどすっとんきょうなことではなかったのではと思ったのでした。

「ダサい」ってどういう意味で使っているか書いておきます。
ダサいとはカッコ悪いということ。私は、自分も含めて人が自身の行動に責任を取らなかったり、人のせいにしたりするとき、ダサいなと思います。

この国の学校周辺(教育委員会も含む)がダサいのは、システム的にどうしようもなく、自分のケツを拭くようにできていないところなんですよね。それがちゃんと説明してある本でした。

学校にまつわるもの、人と接するとき、校舎内に貼ってある標語(「呼ばれたら『はい』と返事しましょう」といった類の)を見たときに感じる違和感。むずがゆさ。奥歯に物が挟まったような、でも奥歯には何も挟まっていないみたいな。
「あ”ーっつ!!! ハダカのオマエを見せてくれよ!!!!!」と叫び出したくなるような、それもむなしくてただ遠ざかりたくなるような。
すごく疲れます。
学校側とは断絶しているわけではないので、隔週くらいで校舎に足を踏み入れます。ですが、長くいると他の場所では感じない疲労感に襲われます。

それはみんな日本の教育システムに原因があったんだと腑に落ちました。もちろん、現場には子どものことをちゃんと見てくれる人もいます。それがいわゆる(?)「担任(校長でも)ガチャポン」。いい担任に当たれば、切ない想いをする度合いが下がる程度ですが、心情的にはかなり違います。

でもそれじゃ何も変わらなく、ガス抜きにしかならないんです。結局、現行のシステムを存続させる側に加担しているような気さえしてきて、げっそり。

しかし、ここのところの不登校者数の激増に、国も考えをあらためてきています。以前は不登校児童への対応は、学校に戻す前提でされていました。今は必ずしも復学ありきではなく、学校以外の学びの場や方法も認めていこう、という通知を文部科学省が出しています。

知らない人も結構多いかもしれないので貼っておきます。
「不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)」令和元年10月25日

この通知を知っているためか(確かめてはいませんが)、娘の学校側の対応は非常にソフト。一度も「学校に来られないのは甘えです」とか「お母さんもがんばって来させるようにしてください」とは言われたことがありません。これはうちがラッキーなだけで、いまだに強く圧をかけられる親御さんも一定数いると思います。うちは「1時間でも、給食だけでも、来られたら来てくださいね」という感じです。

ちなみに娘は去年2学期は登校自体は2時間でしたが、校外学習(動物園)には一日参加しました。なんじゃそらって感じですが、本人が行きたいと言ったので。今年度に入ってからは放課後に数回、担任の先生に会って「クロームブック」(ミニパソコンみたいの)を触りに行ったくらいです。

ここまで理解、そして包容力のある娘の学校ですが、おそらく担任の先生は「ホームスクール」という言葉を知りません。一度、口に出したときのリアクションは「ほむ???」というものでしたから。そこからホームスクールに関する対話が始まることもありませんでした。

やはり学校側としては「来なくてもいいよ」とまでは言えず、いつか戻ってきてほしいという気持ちが根底にあるのだと思います。こちらとは完全に平行線。おそらく決して交わることのないという予感に満ちた対話は、不毛で退屈。それでも隔週に一度、会うときは「どうですか、最近は?」「元気に過ごしています」を繰り返すわけです。

先に挙げた本のタイトルは『変えよう! 日本の学校システム』ですが、読み終わったあとに私に残ったのは「やっぱりアナーキズムしかないか・・・」でした。

無政府主義!!! でもホームスクールってそういうことだと思うんですよ。今のところ、何の支援もしてもらっていないですしね(学校の教材費は使わなくても払ってるからたまに使うけど、ピアニカとか)。なんにもないから、なんかしようって気になるわけで。昨日はやはり学校に行っていないお友達と「新聞紙の気に入ったところを切り抜く」という遊びに没頭していました。

国から特に支援はない代わりに、アナーキスト同士の連帯は生まれています。(ホームスクーラーをまとめてアナーキスト呼ばわりしてますが、すみません!)
「マイノリティは連帯しにくい」時代もあったかもしれませんが、学校に行かない子どもの数は今後、確実に増える一方です。あっちからこっちから入ってくる話を聞くたびに、そう感じます。
つまりマイノリティはマイノリティでも「増加しつつあるマイノリティ」なんですよ! マジョリティになるかどうかはどうでもいいんですが、増加しつつあるマイノリティには希望があります。なんか楽しいことがある気がしてくるんです。

もちろん、晴れた日ばかりではありません。特に基本子どもと一緒にいる大人(多くは母親)の精神衛生面のケアなど、問題や課題がないわけではないですが、それは「自分の好きなことを大事にする」ことと人とのつながりでなんとかなる気がしています。
てか、していきたい! 楽しくつながれる人を求めています。この指とまれ♪

楽しいことをしていきます。ご一緒できたら、ほんとにうれしいです!