見出し画像

『あふれでたのはやさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室 』(寮美千子 著) 勝手にブックレビュー

無条件の愛とはなんだろう。
この世に生きるどれだけの人が無条件の愛を経験したことがあるのだろうか。

ためらいなく、イエスと言える人は少ないだろう。
生まれたばかりの赤ちゃんに対して無条件の愛を抱くことは、それほど難しいことではない。だが成長するにつれ、親は子どもに期待し、それが条件つきの愛寄りになることも多々ある。

それでも多くの人は、幼い頃に誰かしらから受けた無条件の愛のかけらをたよりに、なんとか自分を保って大人になっていく。

かたや、奈良少年刑務所の少年(中には青年といった方がふさわしい年齢の人も含むが)たちは、無条件の愛を受けたことがまったくない、もしくはゼロに近い過去を持つ。紛れもないマイノリティーだ。

親の愛情を知らない彼らの心に、自尊感情は限りなく少ない。
ある時、作家・寮美千子さんは、刑務所側から、彼らの「心の扉を開き、情緒を育ててほしい」という要請を受けた。悲しいことを悲しいこととして、うれしいことをうれしいこととして受け止める感性を取り戻すには、「短くて美しい言葉を繰り返し体験すること」が必要だと、担当者に説得させられる。

本書は、奈良少年刑務所で9年間に渡って行われた「社会性涵養プログラム」のうち、寮美千子さんが担当した「絵本と詩の教室」の様子が語られる。

人を殺すほどの犯罪やそれに匹敵する罪を犯した少年たちの外見が、意外なほど幼いことに、寮さんは気づく。
決して軽くない罪を犯した少年たちの心の扉を開くなんて、と最初はとても自信のなかった寮さんだが、それは杞憂に終わった。それどころか初回から途切れない奇跡の連続が起こり、いつしかそれは奇跡ではなくなったという。

はじめはただ絵本を読み合うだけ。読みたがらない子もいる。無理じいは、しない。彼らのうち、1人の少年は「励ましがしんどいこともある」と言った。

先に紹介した『子どもが「生きる力」をつけるために親ができること』を思い出した。麹町中学の校長である著者が、信頼関係を築いている途上の生徒から、「先生、俺たちのこと信じてる?」と聞かれた際、なんと答えるか、というくだりがあった。答えは?・・・「もちろん、信じてるよ」? そんなわけないでしょ!

安易な励ましや楽観的な言葉は、愛や信じることに憧れながらも手に入れることができないまま大きくなった彼らにとって、何の価値もない。彼らが欲しいのは、ただ待っていてくれること。沈黙。多くの親が、我が子に対してもできないこと。

閑話休題。
絵本を使ってのロールプレイでは、寮さんの予想を超えることもしばしば起こる。お父さん役をしたがる小柄な少年。大柄な少年が子どもの役をしたがる。えっと思う尞さん。すかさず、いつも授業に立ち会う教官の1人が「やらせてあげてください」という目配せを送る。
役になって言葉を発することで、彼らのなかの埋められなかった穴が少しずつ埋まっていく。

「社会性を涵養する」とは、社会性を「じわじわと水が浸み込むように育てていく」ことらしい。
なぜ奇跡が起きるのか。それはもしかしたら、当然のことなのかもしれない。だって、生乾きのタオルよりも、乾ききったスポンジの方が水を吸い込む速度は早い。

絵本の授業を経て、ついに自分の言葉を内から発し始める少年たち。賞を取ったからでもなければ、ほめられたからでもない。さぞ誇らしい気持ちだったろう。

世の中には犯罪人ではなくても、自尊感情を持ちにくい人は多くいる。同じアジアでも韓国や中国と比べてはるかに日本人の若者の自己肯定感が低いことは、つとに知られている。

「生きづらい」ということがよく言われるが、多くの人は、はっきりと「生きづらい」と言うことさえためらわれるほど、自分の生についてよくわかっていないのかもしれない。

みてきたことやきいたこと/いままでおぼえたぜんぶ
でたらめだったらおもしろい/そんなきもちわかるでしょう
(「情熱の薔薇」ブルーハーツ)

生きづらいってなんだよ。「生きるのはつらい」がデフォルト設定なら、あとは上がるばっかだろ。そしたらちょっとしたことにも愛とか感謝とか、感じちゃうのかも。生きててよかった、とかさ。

この記事が参加している募集

#読書感想文

190,781件

楽しいことをしていきます。ご一緒できたら、ほんとにうれしいです!