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【書く】波乱な派手な記事もいい。地味で滋味な記事もいい。

今日は朝から、
戦前から活躍してきた
上林暁(かんばやしあかつき)という
私小説作家の随筆を
ちびちび、なめるように読んでて、
途中、2度見ならぬ2度読みする
印象的な箇所に出会いました。

こんな文章です。
「私小説は概して退屈なものである。
いわゆる面白い文学ではない。
そういうロマンを求める人は、
他の文学に就くべきであ…略…」

上林さんは私小説作家だ。
日本文学史で、私小説家で
ベスト10位、いや5位には入る
私小説家の代表です。

そんな方が、私小説はつまらない
と自ら先に認めている。
甚だ正直で、しかも文学について
全体を俯瞰できる人らしい。
ちょっと悲しみが漂う人だ。
上林さんはさらに続けます。

「私小説は退屈なものだと言ったが、
作家の心や生活の風景に
濃まやかな味を見出そうとする人達は、
決して退屈とは思わないであろう。 
例えば、スタンダールの短編は
どれを取っても波乱万丈で、
面白いものではある。
しかし、二三篇つづけて読んだり、
繰返し読んだりしようとすると
同工異曲という感じが強くて、
面白さがかえって単調に
感じられて飽きが来る。」

なるほど、起承転結が激しい作品は
すぐに飽きが来てしまう。
でも、滋味豊かな私小説には
飽きが来ない。というか、
飽きが来ないよう心を尽くすのが
私小説家の使命なのですね?

私小説は日本文学を
平坦な作品だらけにした
残念な分野だと私はずっと思ってきた、
いや、信じてきました、
それは偏見だったかもしれません。

飽きの来ないことを
一番の使命として、
サービス精神を考えるなら、
私小説にもこんな言い分が
あったんですね。

「私小説には、 
そういう面白さはなくて、
最初から単調なものであるが、
つづけて読んだり繰返し
読んだりしても飽きが来ず、
かえって味を増すところに、
真の私小説のだいご味がある
のではないかと、私は考える。
志賀直哉の小説の如きはそれであるが、
ロマンの面白さに抵抗して、
私小説家の目指すところは、
そこであると思う」

派手なロマンチックな物語、
ドラマチックなストーリーは
そちらはそれとして、
魅力も意義もあるのですが、
地味で呪縛的な私小説は
繰り返し読みたくなる力が
その醍醐味だ、と上林さんは言う。

志賀直哉は
私小説の神様というべき存在で、
私は彼には愛憎両面があり、
ひとことでは語れない作家なのですが、 
今の10代20代の人たちは
志賀直哉をどう感じるだろう?

戦前に活躍した上林暁の随筆集が
この7月『文と本と旅と』
中公文庫からでた。
その帯には、こう書いている。
「じっくり噛みしめれば味が出る」

なるほど、じっくり噛みしめる、
とは、的確なキャッチコピーですね。

私小説家には、
2種類の作家がいます。
波乱万丈な人生、
経済的破綻、
挫折につぐ挫折。
それらを自虐的に書く人。

でも、私小説作家のみんながみんな
そうしたケレン味の強い、
扱いにくい作家ではないらしい。
上林暁みたいに滋味豊かな、
不思議とページを、グイグイ
読みすすめてしまう地道な作家も
いるんですね。

私小説作家をネットで調べると
よく名前が出てくる作家なので、
私小説は読まないよう、
上林暁も、ずっと敬遠してきましたが、
どうもただの読まず嫌いだったようです。
ごめんなさいね、上林さん。

ちなみに、別のページでは、
上林さんは、
若い時期は、海外文学は
遠ざけてきたらしく、
それが自分の作品の平坦さに
繋がったのだろうと、後悔してる。

ところで、このnoteは、
「わたし語り」ですよね。
私小説のちょっと手前みたいなもの。

私は今まで、このnoteでも、
波乱万丈で、ひと目をひく記事を
書けたらいいのになあ、
と思っていましたが、
そればかりではなく、
地味だけど、飽きない
滋味豊かな記事を書けたら、
それはそれで素晴らしいかも。
そう思うと、今までの
コンプレックスから解放され、
ちょっと楽になりそうです(笑)。

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