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太宰治は小説よりも、エッセイが断然おもしろい!

太宰治について、どうしても
書きたいことがあります。
太宰治って、まず人間としても
あまりに多様なキャラクターで
とらえどころがありません。
謹厳実直な面もあれば、
女性にだらしなかったり、
自殺未遂など破滅的だったり、
でも、手紙をくれたファンには
まめまめしく返事を書いたり…。

作家としては、さらに
キャラクターの種類が倍層してる
感があります。もう数えたら
キリがありません。

私は18歳で「太宰病」にかかり、
5年くらい発症しましたが、
20代後半には治りました。
それから10年は読んでませんでしたが、
40歳くらいで改めて読むと
太宰のきな臭さはあまり
気にならないで読めました。
太宰がいかにもピエロぶってる所も
無頼ぶってる所も、
自分を悲劇の主人公にして酔う所も、
年を取ったせいでしょうか
太宰の罠には免疫ができてました。
罠というか、中毒性の病かしら。

別にそれが良いかどうかは
さておき、
例えば『人間失格』でも
こう書いたら読者は
こんな風に感じるだろうな?
こう書いたら、
ああ感じるだろうな?
こう書いたら、読者は
「これは自分のことやん!」って
共感するだろうな、と、
見事に計算し切って書いている。

頭上10メートル位の高さで俯瞰して、
登場人物を操り人形のように
糸を動かしてあやつって、
それから読者まで操ってたんだな?
というのが見えるように!
もう青春時代の二の舞にはなりません。
(笑)

太宰を嫌う人のほとんどは、
登場人物のセリフや
作品世界のナレーション自体に
辟易してしまいますが、
太宰はそこも見越して
はるか頭上で俯瞰して書いている。

と、まあこれじゃあまるで
太宰の弁護ばかりしてるみたいですが、
その「あざとさ」には、
ちょっとなあ、やり過ぎかな、
と感じてしまいます。

その点、太宰の中期の身辺雑記、
「新樹の言葉」「きりぎりす」
「富嶽百景」「満願」
「ダスゲマイネ」「Ⅰcanspeak」などは
エッセイとして面白く、楽しい。
てらいも計算もポーズもない。
ありのままの述懐が伸びやかに
広がるばかりです。これはもう
エッセイですかね?

私にとって太宰は、だから
エッセイストなんです。
なんて言ったら太宰には
きっと叱られますかね(笑)?


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