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【文学】中上健次作品はどこがそんなに芸術?文学?なんだろう?

芥川賞作家・宇佐美りんさんが
中上健次という昭和の豪快な作家に
親しんできたという話は、
中上健次と同郷人としては、
こそばゆいような嬉しさがある。
編集者だったならば、
宇佐美りんさんに手紙を出して、
中上健次について色々と
インタビューしたいくらい。

中上健次は和歌山県南部の
熊野地方に生まれ育ち、
中期後期は、熊野地方を舞台にした
作品を次々と書き残しました。

私自身は熊野よりもう少し北の
和歌山県中部で育ちましたが、
言葉はほとんど同じ方言です。
荒々しい、武骨な訛りです。

中上健次は会話部分を
熊野弁で書いたから、
読んでいると、
懐かしい古里に戻ったような
安心感がじんわり広がります。

それに、中上健次が
「文学、芸術に昇華した」と
言われがちな、
気の荒い男たちの話や
悲しく生きた女たちのエピソードは
私が子供時代、
大人から聞いたり、
友人から聞いた大人たちの話と
とてもよく似ているので、
正直、中上健次の小説がそんなに
立派な「芸術」「文学」とは
思えないんです…。
土建屋のおじさんが隣近所のおばさんと
出来てしまったり、
その父親を許すまいと
息子がビール瓶を持って追いかけたり、
幼稚園を退職した先生は
教え子の生年月日や命日を
ことごとく覚えていたり、、、。

あんな登場人物たちって、
私の回りにもいっぱいました(笑)。
どこが凄いんだろう?

いや、もしかして、中上健次は
そんな日常を「芸術」に仕立てたのが
凄いところなのかも?

和歌山県南部や中部の人間には
そんなに特別なことでもない話を
現地生まれながら、特別な世界として、
構築したのが中上さんの凄いところ?

たまに、中上健次が好きで
東京からわざわざ、
熊野地方にある中上さんの
お墓に詣でたという愛読者に会うと、
恥ずかしいような嬉しいような。

新進気鋭の作家・宇佐美りんさんは
中上健次のどこにそんなに
惹かれてきたんだろう?
こうして、自分のことでもないのに、
同じ和歌山県生まれというだけで、
方言がほとんど一緒というだけで、
中上健次が誉められると、
まるでわがことのように
おもはゆく感じる辺り、
すでに紀州南部の特徴なのかもしれない。




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