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【言葉】「自己肯定感」がこんなに広まった訳とは?
自己肯定感。
この言葉には、出会って以来、
ずっと奇妙な違和感がありました。
言葉として。
中身が良いことを意味してるのは、
わかっているのに、ずっと語彙として、
座りが悪いと感じてきました。
なぜだろうか?
もう二年近くなるというのに…。
言葉の組成、仕組みとして、
にわかに造った感じが強いのです。
「自己」と「肯定」をくっつける、
そこまでは日本語として王道です。
そこへ「感」という一文字で
完結させたため、中途半端な造語に
なってしまった印象が残ります。
日本語では、
漢字2文字が基本になる。
それを重ねていきます。
学校。教育。
経済。発展。
自己。顕示。
あ、そういえば、
「顕示欲」という単語は既にありますね。
その言葉の前に「自己」を足したら
「自己顕示欲」と5文字パターン。
「自己肯定感」と似てますね。
ただ「自己顕示欲」は、
2文字(自己)プラス3文字(顕示欲)。
「自己肯定感」は
2文字プラス2文字プラス1文字。
2+2+1です。最後に1文字を
付け足した印象があります。
なぜなら「肯定感」というのは、
語彙としては、広辞苑に載るほどは
まだ定着していないから。
「感」という文字は、
「自己肯定」という4文字に対し
付けられたと見るべきでしょうか。
となると、4文字プラス1文字?
そうかあ!
これが「自己肯定感」を
こんなに広まらせた勝因でしょう。
最初に言い出した方は、
実に勇気もいったでしょう。
日本語として、こなれてない感は
半端ないからです。
でも、その違和感が、
新しさを生み出しました。
2+2+1ではなく、
4+1、だったのですね。
だから、最後の「感」が
妙に落ち着き悪く、どこか
唐突な感じがあって、
1人がんばってる印象が
強く感じられるのでした。
広まるには、
馴染みある言葉であるより、
ちょっとにわか造りであることが
有利に働くんですねえ。
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